大モッガラーナ比丘は、諸々の比丘に告げて言った:
「諸君、私はこの葉毘尼河の川べりで、不動三昧(第四禅)に入った時、群象が河を渡るために流れに入った時に出した声を聴いた。」
比丘たちは、恨みがましく、不満で、憤慨して言った:
「長老大モッガラーナは、不動三昧に入ってもなお、音を聞くのですか?長老大モッガラーナは、上人法(大妄語)を言っている!」と。
彼らは世尊にこのことを知らせた。
世尊は言う:「比丘たちよ。彼には、この種の三昧があるのです。ただ、純潔が足りないのです。モッガラーナが言っているのは事実です。モッガラーナは戒を犯してはいない。」
究極のレベルでは、安止定の一つ毎の心識刹那は、定の修習における目標を対象としていて、同時にその他の目標を認識することはない。当然、音が聞こえる、ということはない。
修行者が色界定に入った時、これらの安止定の心識刹那は色界心である:修行者が無色界定に入った時、これらの安止定の心識刹那は無色界心である。そして、心の生・滅の速度はあまりにも速すぎて、一秒間の間にも、数万億個の心識刹那が生・滅し去るのである。
故に、一回の瞑想・静坐の時間において(+生じる)、心識刹那の数は、多くて数えきれないほどである。
修行者の定力がいまだ、純化されていない時、一回の瞑想・静坐で、彼の心は、安止定から、何度も出たり入ったりする。たとえこのようであろうとも、我々は、彼は安止定の境地に到達したと認めるものである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-43につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>