Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~賢い子ども

先日、ある小さな集会に出ました。

雑談で「仕事が忙しい時に、それに上乗せするように、アレコレ指示されると腹が立つ」というお話が、ありました。

よく分かります、よく分かります。

以前の私もそうでした。

でも、息を観る瞑想(安般念瞑想)をウン十年やってきて、ようやくこの辺の消息が、分かるようになりました。

ここに真っ赤に燃えたストーブがあります。

小さな子供は、それが熱い事を知らずに、触りに行きます。

賢い子どもは、触った途端に「アチッ」と言いながら、すぐに手を放します。「ママ、アチカッタ」それで終わり、何事もなかったかのように、好きなおもちゃで遊び続けます。

あまり賢くない子供は、ずっとストーブを触り続け、大やけどをしてからワンワン泣きます。親は、子を抱いて、病院へひた走りです。

私たちは、何か嫌なことを見たり、聞いたりすると、心が混乱します。

そして、混乱した心のまま、心は、その対象に張り付いてしまうのです。そして、混乱は混乱を呼び・・・、あなたは疲れ、同僚は不機嫌になり、仕事は減らず・・・私たちは、賢くない子供のようです。

息を観る瞑想を続けていると、対象に対して、それがなんであるか、気がつくタイミングが速くなり、かつ、「コレハアブナイゾ」と予感する力が、鋭くなります(予言とか、占いとは関係がないですよ)。

これが正念正知です。

そして、「コレハアブナイゾ」と思ったら、すたこら逃げる、手放すのが、良いのです。

そして、すばやく己の本分に戻り、<今・ここ>において、頭脳明晰、余裕綽々、優先順位を決め、なすべきことをなすのです(仕事から逃げるのではなくて、混乱した心を、手放すのです。お間違いなく)。

手放す力、逃げる力もまた、同じく安般念瞑想で鍛えることができます。

タイの僧侶、アーチャン・チャーは、例え話が上手でしたが、彼は<正念正知>と<手放す>をセットにして、「危ないと思ったら、亀のように六個の器官を引っ込めよ」と言っていました。

これは「六根門を守る」ともいいます。

みなさんも、朝夕瞑想をして、賢い子どもになれるよう、チャレンジしてみて下さい。

追記:六根とは、耳、目、舌、鼻、身体、意の六つです。