Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~安般念と正念正知

安般念は、インドの古い言葉で

<アーナ・パーナ・サティ>と言われているものを、昔の中国人が、漢語に翻訳したものです。

ですから、音訳で安那・般那・念ともいい、意訳では、出入息念とも、言います。

文字通り、己自身の鼻孔から出入りする息を観察する、瞑想法です。

世の中には、色々な瞑想法があるようです。

私は日本式内観、ラべリングするマハーシ、身体の感覚を観察するゴエンカ式ヴィパサナ、密教の観想に取り組んだことがあります。

念仏系は、私自身は、日本の浄土宗には縁がなく、なぜ浄土宗が<念仏(+号)するだけでよいのだ>と強調するのかよく理解できませんが、歴史的経緯で言うと、念仏(+号)は、仏の徳を想って修行する<仏随念>の変形ではないか、と言われています。

安般念は、微細な息の出入りを、一瞬たりとも(?)見逃さないで、追い続けることによって、集中力と観察力を同時に育成しよう、というものです。

息を観ることに習熟するのは、良い事です。

我々は、通常、無意識に、息を吸ったり吐いたりしていますが、意識的にも、吸ったり吐いたりできるため、息は、表層意識と潜在意識を繋ぐ架け橋になることが、できるからです。

あなたの潜在意識、仏法で言う有分心は、一体どのような様子をしているでしょうか?

表層意識と潜在意識(有分心)への理解が進めば、やがては、<観る者と観られる者>という、意識における最大の謎の解明に、チャレンジすることができるでしょう。

ただ、皆さんも気づかれているように、瞑想のテクニックだけ追い求めても、いつか壁にぶつかりますし、今足元にある人生自体が、うまくいかない事が多いです。そのためには、正念正知でもって、己の心のバランスを整えるのが良いと思います。安般念と正念正知が、お互いに支え合う関係になれば、一安心です。

朝夕、落ち着いた時間に安般念に取り組み、仕事や家事に取り組むときには、自分の心が正念正知であるかどうか、を観察するようにすれば、今ある生活を大事にしながら、悟りへの道を歩むことが出来ると思います。