第二に、「落ち着いていて、優しさ(=柔和)に熟練している」とは、どのような事か?
どのようにすれば、平静と柔和に到達できるのか?
(+もし)我々に、自在な心があり、(+その心が)何かの事実に「接触」する時、我々は軽々と、一切の変化ーーそれが良い事であっても、悪い事であっても、良くも悪くもない事であってもーー受け入れることができる。
これが、あらゆる場面において、我々の心が、常に平静で、抵抗しない、反発しない、反撃しないでいられる、という理由である。
故に、止禅の修習におけるキーポイントは、「自在」である。
しかし、忘れてはならないのは、「接触」という二文字である!
というのも、あなたが、何等の事実にも、何等の境界にも接触しない時、あなた(+の心)は、平静であるように見えるけれども、しかし、これは単なる漠然(+たる心情)にすぎず、真実の平静ではない。
真実の平静とは、我々をして、自在に、事実に「接触」せしめ、同時に「すべてを受容」できる事である。
これが、我々がなぜ「自在に・体験する事」という二つの項目を重視するのか、という理由である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-10につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>