もし、修行において、「自在」に遍重しすぎて、「体験」を軽視したならば、軽安、定、捨の三覚支のパワーが、択法、精進、喜の三覚支より強くなってしまい、その結果、心は、懈怠の方へと傾いてしまう。
反対に、もし、修行者が「体験」に重きを置きすぎて、「自在」を軽視したならば、択法、精進、喜の三覚支が、軽安、定、捨の三覚支より強くなり過ぎ、その結果、心は、浮つきの傾向へと傾いてしまう。
上述の二つの状況において、七覚支が不均衡な為に、心の力は、最も佳い効果を発揮することができず、定力も、順序良く深まるという事がなく、無理やり一定程度の定力を得ることができたとしても、それ以上維持し、深まることがない。
自在と体験は、同時に配慮しなければならないもので、自在なる心境でもって、目標を体験するのである。
両者は、相補い合うものであって、どちらかに偏ってはならない。
このようにして、細心に味わい、修行を積み重ねれば、定力は自然に深まり、安定して、持続するようになる。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-13につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>