Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~マイネーと白い雲

最近のインターネットでは、寺島しのぶの長男まほろ君が歌舞伎デビューした、という事が、ニュースとして、画面をにぎわしています。

その見出しが

寺島しのぶまほろ君を2歳から超英才教育>

ちょっと嫌だな、と思いました。

まぁ、我々庶民、子供が高校を出てくれたら一安心、大学へ行ってくれれば万万歳、くらいで、2歳から英才教育、それも超がつくなんて、セレブって何考えてんの?とやっかみ半分、否定的だったのですが・・・。

その<超英才教育>という見出し部分を4,5回目にした後、私の気持ちがなぜか好奇心に変わって「2歳の子供に、一体何を教えるんだろうか?」と思い、クリックして、記事の中身を読んでみました(そこには、まほろ君は、2歳で日本舞踊を習い始めた、とありました。歌舞伎界の傍流の長男なら、当たり前と言えば当たり前?)

本当に<心>とはいいかげんなものですね。

これをアチャン・チャーは<マイネー>

いま考えている事はいずれ変わる、心とは、頼りないものだ、と言っていました。

中国の禅宗ではこう言います。

<長空不礙飛白雲>

心には白い雲(良い考え)も黒い雲(悪い考え)も浮かぶけれども、その時その時の条件によって心情は流動していて、やがては移り変わって行く。<心は流動する>という事実、それを受け入れなさい、と。

<本当の私>とは、長空(青空)のようなものかどうかはさておき、心(人の考え方)は、相当いい加減なものだな、と思ったのでした。

まほろ君頑張れ。

追記:<長空不礙飛白雲>の句の重点は、私は長空、青い空である、という事ではなくて、状況は変化するものだ、という事実・真理を飲み込むことができれば、人生、何があっても大丈夫、という意味。不動の私は、揺れ動く己の心を冷徹に受け入れたときに生まれる。

動の中に不動を観、不動の中に動を観る禅宗は、本来、人の思い込みを徹底的に、どこまでも奪うのであって、<青空の思想>を立てる事はない。