Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-29

    <Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>

方法:心をして、各々の身体の部分について、

一時、(+生じる感覚を)感受せしめる。

ただし、その感受が鮮明であろうが、鮮明でなかろうが、(+心は)そこにとどまってはならず、次から次へと、次の身体部分を感受をするようにする・・・。

このような方法で、身体の各部分を感受する時、回収されたエネルギーは、全身の各部位に、平均的に散布されるようになり、気血の循環もまた、自然に通りがよくなる。

このように実践すれば、心をして、活力をみなぎらせるようにできるだけでなく、また、心をして、活発・敏感にさせることもでき、どのような仕事、または使命でも、それを完遂する事に、適応できる。

ある種の修行者について言えば、もし、上述の方法が不適切である時、それでも問題はない。

ただ必要なのは平静さであって、心が自在さ、活発さを感受してから後初めて、エネルギーの回収作業を実践して、それを感受するようにすれば、気血は、全身に通るようになる。

ある種の人々は、座禅・瞑想の時、頭部の重苦しさ、頭の膨張感、頭痛、または胸のつまりを感じることがある。

これは、気が、頭部または胸部に滞ることから生じる現象である。

定の修習においては、心を一か所に専注させる為、気もまた、一か所に集まってきてしまう。

最も凝集しやすい場所は、頭部と胸部である。

この事は、身体において、不適応を生じせしめるだけでなく、定の修習における、順調な進展にも影響する。(2-30につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>