<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>
方法:心をして、各々の身体の部分について、
一時、(+生じる感覚を)感受せしめる。
ただし、その感受が鮮明であろうが、鮮明でなかろうが、(+心は)そこにとどまってはならず、次から次へと、次の身体部分を感受をするようにする・・・。
このような方法で、身体の各部分を感受する時、回収されたエネルギーは、全身の各部位に、平均的に散布されるようになり、気血の循環もまた、自然に通りがよくなる。
このように実践すれば、心をして、活力をみなぎらせるようにできるだけでなく、また、心をして、活発・敏感にさせることもでき、どのような仕事、または使命でも、それを完遂する事に、適応できる。
ある種の修行者について言えば、もし、上述の方法が不適切である時、それでも問題はない。
ただ必要なのは平静さであって、心が自在さ、活発さを感受してから後初めて、エネルギーの回収作業を実践して、それを感受するようにすれば、気血は、全身に通るようになる。
ある種の人々は、座禅・瞑想の時、頭部の重苦しさ、頭の膨張感、頭痛、または胸のつまりを感じることがある。
これは、気が、頭部または胸部に滞ることから生じる現象である。
定の修習においては、心を一か所に専注させる為、気もまた、一か所に集まってきてしまう。
最も凝集しやすい場所は、頭部と胸部である。
この事は、身体において、不適応を生じせしめるだけでなく、定の修習における、順調な進展にも影響する。(2-30につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>