Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-40

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

4、修行において、我々は、事物を蓄積したりしてはならないし、事物に執着する心を、蓄積してもならない。

そして、事物を放下し、負担(=背負っているもの)を放下するのを喜ぶ心を、育成しなければならない。

修行している時以外の時間、我々は、多くの責任ある事柄を担わねばならず、それはちょうど旅行鞄のようなものである。

しかし、修行している時は、これらの旅行鞄は、必要ないのである。

5、過去を放下するとは、あなたの仕事、家庭、承認、責任、経歴、子供時代の良いまたは悪い思い出等について、考えをめぐらさない事を意味する。あなたは、それらに対して、全く興味がないごとくに振る舞い、過去のすべての経験を放下する。

あなたが修行する時、あなたは一人の、歴史のない人になるのである。

6、もし、あなたがすべての歴史を放下するならば、我々はすべて、平等で、自在(+な存在)である(+ことが分かる)。

我々は、これらの、我々をして、制限を齎す所の心配、観念及び考えの中から、自分自身を解脱せしめるべきである。

というのも、これらの束縛は、我々をして、放下することを通して生じさせることのできる、穏やかさと安らぎ、静けさを育成できなくさせるからである。

7、未来、予期、恐怖、計画、期待ーーこれらも、すべて放下すること。

仏陀は、未来について語った事があるが、彼はこう言った:

「あなたが、状況がどのように変化するかと考えたとしても、通常、そのようにはならないものだ。」

智者は、未来は不確定で、不可知で、予測不可能であることを知っている。未来を予測することは、通常、非常に愚かなことであり、特に、修行中に未来の事柄について考えを巡らすことは、貴重な時間を浪費するだけのもの、なのである。

8、あなたが知り得るのは、<今・ここ>における時間ーーすなわち現在!だけである。

このようにして、あなたは美妙なる寺院的時間の尺度に到達する。この時間的尺度の中においては、あなたはただ

<今・ここ>において修行し、何分たったか、後何分残っているかを、気にすることはないだけでなく、今日の曜日さえ知らないでいるだろう。

9、この種の、時間を超越した領域の中で、あなたは

<今・ここ>を体験する。ちょうど、数千年来の、すべての智者が体験したのと同じ<今・ここ>を。

それは永遠にそのようであり、差別(=異なること)はない。

あなたはすでに「現在」の領域に進入したのである。

しかしながら、我々は一つの事柄を付け加えたいと思う:「私は今、修行したい」という、現在への執着さえも、放下しなければならない。

我々は、・・・が欲しい、・・・がしたい、などという、自然に逆らったこの種の「現在」・・・たとえば、「私はこういう事をしなければならない」「私はああいうことをしなければならない」という思いを、放下しなければならないのである。

なぜ、あなたは、あなたの心を、自在に、自然のままに、なさしめておかないのか?

◆結論:

修行の要点は、三つの方面における放下である:

(一)過去の歴史を放下する。

(二)未来への期待を放下する。

(三)現在への執着を放下する:すなわち「私は修行したい」という想いを手放すのである。

(2-41につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>