<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
我々が「定の修習において、如何にして更に一歩進んで放下の原則を運用するのか」に関して討論する前に、我々は、先に、定の修習における要素について、話し合ってみたいと思う。
(一)この世間において、一因が一果(または多果)を、生じせしめるわけではない・・・しかし、多因によって多果が生じる。たとえば、気候、土地、種及び水などの種々の因によって、色(物質・物体)、香、味等などを伴う果が生じる(我々は、これを芽と呼んでいる)。《清浄道論・第七章・第106段》
(二)世尊が適切な時に、(+仏法を説明するのに)一つの代表的な因と果を採用するのは、教法の優雅さと、教師の個性を(+聞く者が)受け入れられるように、配慮したからである。《第107段》
(三)世尊がこのように宣揚するのは、それが基本的要素である場合か、または、それが最も明確である場合か、または、それが他とは異なる場合である。《第107段》
(2-43につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>