wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-5

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

良い師の資格

よい禅修行の指導者は、どのような資格を具備しておくべきであろうか?

主要な資格は以下の二種類である:

(一)彼自身に実体験的な証悟があること

故に、もし漏尽者を得ることができるならば

(すなわち、阿羅漢を教師とする事)、それは非常によい。

もし不可能であれば、順序に従って阿那含、斯陀含、須陀恒、ジャーナを証悟した凡夫、三蔵を誦する者、二蔵を誦する者、一蔵を誦する者などの人を(選んで)親しくするのがよい。

《清浄道論・第三章・第64段》

もし、教師自身が修行の道を歩んだことのある人物であるならば、それこそ、彼はあなたの修行を指導する資格がある。

ある種の人々は「畳の水練・机上の空論」が好きである。というのも、彼らは、修行に関する多くの本を読んでおり、一旦話を始めると、まるで修行の道をどのように進めばよいか、非常によく分かっている風に見える。

しかし、一たび、実際の修行の経験について語るとき、彼らは手も足も出なくなってしまうのである。

禅修行の指導者について言えば、自らの、実体験による証悟は、非常に重要な条件になる。

自らの実体験による証悟は、彼が学んでいる理論が、実際の修行上における、複雑な状況の内に、運用することが出来る事を、証明することができるからである。

(二)止禅(と観禅)の道理に博学である事

前述した漏尽者などの人々は、彼ら自身の、実体験の上に証悟された道筋を述べ、伝えることしかできない。

博学である者は、色々に異なる教師に親しんだが故に、彼らが与える事の指導に関する諸々、及び問題への回答は、すでに浄化されている。

このような人は、各種の経典や理由(=理論?)から引用することが出来、その状況の下で、(+その理論が)適切であるか、不適切であるかの説明もできる。彼らは、(学生の為に)業処の説明をし、大道を指し示することができる。それはちょうど、深い森の中で歩き回る大きな象のようである。《清浄道論・第三章・第65段》

(3-6につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>