wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-6

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

 これは非常に重要な点である。

ここで、ただ自ら証悟しただけでは、あなたは、よい教師にはなれない、と言っている事は、すなわち、あなたは、あなたと同じ道を歩む学生しか導けないから、というのがその理由である。

しかしながら、一人の教師が、止禅の理論を深く研究し、かつ、豊富な教学の経験を積んだ後でなら、彼は、異なる性質の学生に対して、進むべき異なる道を指し示すことができる。

故に、《清浄道論》では、「(博学の者は)業処を説明できるし、また、(+進むべき)大きな道も、指し示すことができる」というのである。

言い換えれば、教師とは、非常に、善くて巧みでなくてはならないが、では、善くて巧みとは何であるか?

善くて巧みには二つの種類がある:

1、彼の指し示す指導内容。

2、質問に対する、彼の回答と説明。

(3-7につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>