<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
どうして、彼らは、精進心を発揮できないのか?
彼らにどのような問題があるのか?
彼らの問題は、彼らがいまだ徹底的に、苦とは何かを知りえていないという事である。
仏陀は言う:
「私はただ一つの事を教える。(それはすなわち)苦及び苦の終息である。」
興味深いのは、あなたは、苦と苦の終息は、二つの出来事だと考えているかも知れないけれども、では、なぜ、仏陀はただ一つの事しか教えない(+と言った)のか?(+という疑問である)。
これは、非常に重要な中道正見である。
一つの事柄ーー二つの相。
この二者は、同じ一つの現象の二つの相を表している。
出世間の正見は、同時に二つの面を擁してる。
ちょうど、貨幣には二つの面があるように。
では、どのような二面か?
それは、苦と苦の終息である:
苦を知り、苦を終わらせる;
または苦から離れて楽を得る。
故に、それが苦である、と知るより外に、我々は苦の滅の道ーー涅槃の体現・証悟こそが、最高の喜楽である事を、知る必要があるのである。
このことをよく理解して後初めて、我々の心において、我々は、愉快、喜悦、軽安と快楽(=楽しさ)を充満させて、修行することができるのである。(3-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>