<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
六種類の行相
六種類の意楽は、諸々の菩薩の菩提を成熟させる:
無貪の意楽を通して、諸々の菩薩は貪欲の禍を見、知る。
無瞋恚の意楽を通して、諸々の菩薩は瞋恚の禍を見、知る。
無痴の意楽を通して、諸々の菩薩は愚ろかさと無知の禍を見、知る。
出離の意楽を通して、諸々の菩薩は在家の禍を見、知る。
独居の意楽を通して、諸々の菩薩は群居の禍を見、知る。
解脱の意楽を通して、諸々の菩薩は一切の生存界の禍を見、知る。
《清浄道論・第三章・第128段》
上記は、諸々の菩薩の菩提ーー等正菩提ーーを例にとって、意楽について述べた。
しかし、この六種類の意楽の行相は、パーチェカ菩提と声聞菩提行者にとっても、同様に、極めて重要である。
実際、行者の一人一人は、修行における意楽を啓発する必要があるし、修行者の修行の進展の度合いは、彼らの意楽に関する、純度と強度によるものである。
多くの人々は、意楽を激発して修行に取り組んでおり、故に、外から見ると皆同様に見えるが、しかし、実際において、彼ら銘々における、意楽の内的な素養は、その差異が、極めて大きい。
故に、ここにおいて、あなたがこのような意楽を具足して修行するならば、あなたが戒・定・慧を育成するための修習、また、最終的に涅槃を証悟するための、すべての修習に関する念願は、詳細には、六種類の行相に分類されるべきである、という法話を紹介した。
(2-26につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>