Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1、過去の悪因が、今・ここにおいて熟す事によって、負のエネルギーが生じたもの

毎日、毎分、一秒毎でさえも、業力によって生じた、色々な色法またはエネルギーが、我々の身体上に生じる。

もし、今・ここにおいて、過去の悪業が熟したならば、この悪業は、強いかまたは弱いか、どちらにせよ、負のエネルギーを、生じせしめる。

それは我々を取り囲み、我々が禅の修行に専注できないようにする。もし、我々に、今・ここにおいて我々を取り囲む、負のエネルギーを点検することができるならば、我々は負のエネルギーの軌跡に沿って、それの原因が過去に造られた悪業であることが、遡って知れるのである。

反対に、善業によって生じる正のエネルギーは、我々をして、禅の修行の専注をし易くさせる。

故に、禅の修行が更に順調に進むようにするためには、我々は積極的に善を行い、修行者を護持するべきである。

このこと(=善行)は、更に多くの、過去になした善業を熟させるだけでなく、今・ここにおける善業が、未来において熟する時、それらはまさに、禅の修行における、重要な助縁となるのである。

以下に述べるのは、ある種の古参修行者に、よく見られる現象である:

今日、あなたは何度かの座禅・瞑想において、非常にスムースであったとしても、翌日の朝、目が覚めたとき、非常に体調が悪く、禅の修行に専注することができない。

このような現象は、(+我々において)日々、異なる業が熟しており、異なる業力により、異なる業生色聚が生じているが故、なのである。

過去の悪業によって生じる負のエネルギーは、我々をして如理作意できないようにさせ、心が不明晰であるため、動揺を引き起し、(+目標に)専注することができなくなる。

しかし、あなたはこの事で、心配をする必要は無い。

あなたは、あなたが一夜の中に、元々あった禅の修行の善くて巧み(+な状況)を失ってしまったと、思う必要はない。

多くの人々は、このような状況に関して、心配し過ぎて、もう一度改めて、直前の微妙な境地に戻りたいとばかりに無理をして、そのために、却って己自身が耐えきれない程に、心身を疲労させる。

(5-9につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>