Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

これは、仏陀が成仏(=仏陀になる)する前に利用していた、修行方法である。

五蓋などの煩悩に対応する為、我々は、菩薩に学ぶべきである。

五蓋の生起、その直接的な導因は、不如理作意(明智のないまま、心がある目標に向かう事)である。

五蓋に対応する直接的な方法は、如理作意(明智でもって、心をある目標に向ける)である。

五蓋のうちの、どれか一つでも生起した時、それに対して覚知する事、これが如理作意である。

このようであるならば、五蓋は、暫定的に中断し、継続して生起する事はできなくなる。

たとえば:

心に貪欲が生起したのを発見したならば、即刻それを「貪欲、貪欲・・・」と覚知する。

所謂、共通の方法とは、それの存在を覚知することであり、(+覚知すれば)それは自然に消滅する。

我々は煩悩もまた虚妄であり、無常である事をよく知らなければならない。大多数の修行者にとって、彼らは謹厳にすぎ、煩悩を克服することに関して、過剰に、頑なになりすぎているが、このようにするのは、煩悩をして、かえって悪化させるものである。

無常の法は、誰も否定することができない。

あなたはそれの存在を否定してはならないし、また、それが永遠に存在するなどと、考えてもいけない。

あなたの心の中に生起した煩悩もまた、無常なものであり、生起した後に消滅するのであり、ずっとあなたの心の中に居座る訳ではない。

それなのに、なぜ、あなたは、時には存在し、時には存在しない、そのような煩悩を、焦り、慌てふためいて取り除こうとするのだろうか?

世間の凡夫の主要な問題点は、煩悩を煩悩として覚知しないことにあり、もし、ひとたびそれを覚知したならば、通常それは、自然に消失するのである。

◆結論:

五蓋・煩悩の共通の対応法:

(一)煩悩の生起を覚知する。

(二)煩悩は虚妄であり、無常であると、確信する。

(三)煩悩を覚知すれば、煩悩は自然と消失する。

(5-13につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>