Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-25

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(四)リラックスし、生起する考えに、専心して注意を向ける

我々は、経文の中に書かれている比喩に関して、深く考えてみる必要がある:

「速く歩く人は思う:

『なぜ私はこれほど速く歩くのか?

どうしてもっとゆっくり、歩かないのか?』。

彼は考えた結果、歩みを緩める。

しかし、彼はまた考える:

『なぜ私は、これほどゆっくり歩くのか?

どうして立ったままでは、だめなのか?』

彼は考えた結果、立つことにした。

しかし、彼はまた考える:

『なぜ私は立っているのか?』

『私はなぜ座らないのか?』

彼は考えた結果、座ることにした。

しかし、彼はまた考える:

『私はなぜ座っているのか?』

『私はなぜ横にならないのか?』

こうして、彼は横になることにした。

このように、彼は粗くて目立つ姿勢を放棄して、比較的微細な姿勢を採用した。

言い換えれば、これは積極的な思考の力である。

多くの場合、あなたが深く懊悩する時、たとえば、あなたが車を運転していて、隣家の犬を轢いて、死なせてしまった時、あなたは誰かに向かって腹の内を打ち明け、彼はあなたを慰めて、徐々に気が晴れる様にしてくれる。

最初、彼はあなたに向かって、誰それもまた、その他、何かの動物を轢いた事がある、などと解説し、それゆえ、あなたの懊悩は軽減される。

というのも、あなたは、他人もまた自分と同じ間違いを犯すものだという風に、思えるようになるからである。

その後に、更に、あなたを慰めるために、彼はあなたに、彼が若い頃に、更にひどいこと、たとえば、熱湯を野良犬にかけたことがある、などという話をする。

しかし、この行為が間違っていると知った今では、彼は、傷ついた野良犬の為に、医療行為をしているのだと言う。

というのも、傷心し懊悩しても、現実の生活には、何の役にも立たないからである。

こうしたことから、あなたは、間違いを犯したことに対して、懊悩する事は愚かな事であると、徐々に覚醒し、それなら、犬を一匹買って、隣人にプレゼントした方がよい、と考えるようになる。

このように、一歩また一歩と、我々は、己自身に対して、益々良好な心境を、育成しなければならない事を知らしめる。

忍耐力と智慧によって、我々は徐々に、強力で力のある、五蓋の牢獄から、解放される。

これがいわゆる腹落ちする、という事である。

もし、邪念・不善心がいまだ継続して生起するならば、以下の、第五番目の項目を参考にすることができる。

(五)歯を食いしばり、舌を上顎につけるーー正念でもって心を縛り付ける

この方面において、経典の中で、一つ良い比喩がある:

上述の方法がみな失敗したならば、強者が弱者の頭または首の後ろ、または肩をつかまえて、彼を攻撃して倒すように、堅固で強力な決意と努力でもって、五蓋を征服する。

◆結論:

五蓋の対処法の方策:

(一)業処の転換。

(二)五蓋の禍を思惟する。

(三)それを無視する。

(四)リラックスして、生起する考えに、専心して、注意を払う。

(五)歯を噛みしめ、舌を上顎につけるーー正念でもって、心を縛り付ける。

(5-26につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>