Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-5

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

ほとんどのメーチは、比丘が住職をしている寺院に住んでいて、少数のメーチは庵に住んでいる。ただ、この庵も、通常は、その地域の寺院に所属していることが多い。

修行を主な目的とする道場、特にタイの森林仏教の伝統では、女性たちに自由な時間と、基本的な必需品を与えて、彼女たちが全身全霊で、出家生活に打ち込めるよう、配慮している。

故に、多くの女性は、この種の寺院に付属するメーチの団体に加入して、修行することを選択することが多い。

幸いなことに、仏教徒は、社会は、異なる職権と地位によって、運営されている事を知っているため、一人の女性の社会的地位と、彼女の人格・人品とは無関係であることをよく知っているが、このような理解は、問題の影響を削減するのに役立っている。

大部分の伝統的な文化の中では、男女の差別は根深いもので、この現象は、宗教圏の中にも同様に見られる。

ただ、そのようであっても、性別は、過去の業から齎されたもので、一種の運命であり、故に暫定的なものであり、来てはまた去るものであり、そして、生命の本質は無名無相であり、男でもなければ、女でもないのである。

仏法の基本的な原則は:

いかなる人の属性も、みな、実質がない――一切の形成された個人独特の個性の要素は、みな変化して無常であり、最終的には、滅し去る。

一人一人個性は変化し続けており、それが永遠に存在したことは一度もない。

ということは、あらゆる”自我”を構成する所の因と縁は、みな無常であり、変動して定まらないものであり、色身の一切、内心の思想と感覚、そのすべてに実質はなく、最後にはみな消えてなくなるものである。

それゆえ、心身に執着する事は、憂い悲しみ、苦悩の主要な原因である。

(2-6につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>