<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし、心の外にあるすべての属性を剥ぎ落とした時、その本質は性別もなく、階級もなく、地位もないことが覚悟・覚醒できたならば、我々は、我々の進歩を阻害する所のもの、我々の自由を制限している世俗的な区別、身分などの観念を、滅し去ることができる。
もし、我々を輪廻生死させる所の、束縛から解脱したいのであれば、必ずや、これらの世俗的区別を滅し去らなければならない。
この角度から見て、一人一人の心内にある、克服されなければならない根本的無明は、本質的にはみな同じであり、故に、人はみな平等なのである。
心よりさらに不思議なものは、ない。
一粒の、訓練を受けた心の、その能力は非常に不思議なものである。
メーチ・ケーウの心は、生まれつき勇猛で、活力が充満しており、禅の修行において、予知夢と天眼を運用して観察することは、彼女にとっては非常に簡単なことであった。
神通は、彼女にとっては、もとよりエネルギーの元であったが、同時に欠陥でもあった。
彼女はその中に何年も道を見失って、神通に沈み迷うこと(+の弊害は)、自我を克服しなければならないほどであった。
だいぶ後になって、己の心を統制することを覚え、そのときになってようやく、彼女は、この非凡な才能を、善くて巧みに利用することができるようになった。
とはいえ、人間の心の根性、生まれ持った性質は、一人一人、非常に異なっており、ある種の人々は、メーチ・ケーウのように非常に活発で、大胆であるが、ある種の人々の心は、慎重で保守的である;禅の修行においては、その両方ともに、利点がある。
非常に多くの人々が、修行がなかなか進歩しない、困難が重々多いと思っているが、メーチ・ケーウの心は活力に満ち、修行の速度は非常に速く、彼女のように、エネルギーが充満していて、また同時に、善くて巧みな方便を擁している心は、めったにあるものではない。
一般の人々は、彼女の、あの特殊な神通力と比較し、競うことなどできない。
故に大部分の禅者はみな、彼女の歩いた修行の道を、追随して歩む事はできないのである。
(2-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>