Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-2

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

卉晒村(Baan  Huay  Sai)は、旧シャム莫拉限府坎差伊県(Kham Cha-ee district)の小さな普泰の農村で、メコン河沖積平原の端、盤山山脈の南部が伸びた先の、起伏のある高地にあり、その両脇には、卉邦晒河(Huay Bang Sai river)と卉邦伊河(Huay Bang Ee river)が流れている。

初期のころ、卉晒村は開墾地域で、密集した原始の密林の中にあり、簡素な高床式家屋が、天を突く巨木がつくる緑陰の下に、ぽつぽつと建っていたに過ぎない。

ここの民衆の様子は、精悍不羈で、生活は簡単で素朴、自給的農耕と狩猟によって生計を立てた。各自一戸ごとに、村落の周縁にある肥沃な土地を整地して、きれいになった土地に稲を植えた。

耕作地を過ぎると、虎や野生の象が出没する濃密な森林で、住民は、この深くて広い森林が、危険と恐怖を隠し持っていると深く信じていた。そのため、ほとんどの活動は村落の内側で行い、越境することはなかった。

メコン河河畔の、非常に肥沃な土地に落ち着いたばかりの時、莫拉限は小さな国家であったが、後にシャム・チャクリ王朝の属国となり、部分的な自治権を擁した。

伝説によると、昔、三人の王室の姉妹ーーケーウ王女、ケロン王女、ケー王女ーーがいて、卉晒村で生活していた。

彼女たちの性格は、母系の血縁によって受け継がれ、普泰人の民族的性格の中に深々と刻印されることとなった。

この一族の身体には、彼女たちの血が流れており、彼女たちの鮮明な個性が浮かび上がる、すなわち:鋭敏な才智、堅固な意志及び公正な品格である。

誇りに値するこの規範を受け継ぎ、独立的な性格を有する普泰人は、伝統、風俗と言語を通して、族人を纏め、その結果、神聖なる伝承は、世代に受け継がれ、綿々と絶える事がなかった。

(3-3につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājem>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>