Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-83

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

尋(vitakka):

尋の特徴は、心をして、目標に投げ入れるか、または、向かわせる事。たとえば、安般似相などに;

作用は、全面的に、目標に中る事。

故に、禅の修行者は、それに頼り、尋によって、目標に中る、という;

顕現する現象は、心をして、目標に向かわせる、たとえば、安般似相など。

伺(vicāra):

伺は、維持を意味する。その特徴は、持続的に目標を押す、また心をして目標の上に維持せしめる、たとえば、安般似相等;

作用は重複して、相応する名法を目標の上に置く;

顕現する現象は、それらを目標に釘付けにする事。

この二者は、場合によっては、分離できないものであるが、尋は、心の第一次的接触である。

というのも、それは粗く、また始めたばかりなので、まるで鐘を叩いているかのようである。

伺は、持続的に圧することを通して、心をして、目標に釘付けにすることであり、それは、鐘が鳴っているようなものである。

尋は、介入である。最初に心念が生起する時、心に介入し、それはちょうど、翼を震わせて、高みの天空に飛び立とうとしている鳥のようであるし、また、花の香りを感じて、蓮の花に向かう蜜蜂のようでもある。

伺の行為はすなわち安寧で、心に干渉しないで、翼を広げて天空に飛ぶ鳥のようであり、また、蓮の花に向かった後、花びらの上方で、ブンブンと羽を鳴らす蜜蜂のようである。

(5-84につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>