<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
19世紀の末、莫拉限府の首長は、達頌・祥藍という名の普泰人を、卉晒村の地方長官として任命した。
その職務は、紛争の調停、風紀の矯正、また、当地の公共の秩序を守り、社会の安寧を齎すため、普泰族に法律を順守する事を勧め、指導するものであった。
達頌法官は、執務に当っては、公正で情理に通達し、一心に人民に奉仕した。当地の治安を維持すると同時に、彼は普泰族の伝統と習俗の継承、保護にも、尽力した。
彼の妻は端といい、温和で慈しみ深い女性であった。彼女も法官であったが、それは名目だけで、実際に執行するべき任務はなかった。
彼女は、普段は家事をして、子供を育てた。
彼らには、合計5人の子供がいた。
上の三人は男の子で、下には二人の、年の近い女の子がいた。一番小さい女の子は、1901年1月8日の早朝に生まれ、端はこの子に、達白という名を与えた。その意味は ”人の注目を引く”である。
達白は、小さい時から一種の神秘的雰囲気を擁して、ある種の事柄を知ってはいるが、言い出せないでいる、という風情であった。
彼女が話ができるようになってから、彼女は母親の耳元で、小さな声で、夜中に自分がした己の冒険:一塊の光と一緒に、美しく、妙なる場所に漫遊したという事を、打ち明けるのであった。
彼女はその話をしながら、嬉しそうにフフフと笑うのだが、しかし、それがどこなのかを説明することができないで、ただ身振り手振りで知らせようとした。
後年、達白はメーチになった。
彼女は自分が小さい頃に、多くの、天界から来た遊び友達がいた事を、思い出した。
これらの天人が発光する身体のさまは、彼女だけにしか見えなかった。
彼らは、彼女の過去世において、何度も生まれ変わりながら、共に修行した修行仲間で、彼女の心が肉身に耽溺し、人間界に沈むのを心配して、特別に、彼女の心識が体から離脱できるようにした上に、彼らと共に、天界に遊びに行けるようにしたのである。
(3-4につづく)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>