<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
達白は常々、自分の父親が、如何ほどに、出家者を尊敬しているか、を見た。
それは、心の内から発せられたもので、真心からの尊敬、敬虔で熱心な態度は、高官と会う時に表す緊張の態度、警戒心を伴う尊敬とは、異なっていた。
毎朝、達白と母親は、バナナの葉で包んだもち米のご飯とカレーを、出家者の鉢の中に入れてやり、父親は、托鉢する僧侶の後に附いて歩き、僧侶が供養の品を受け取るたびに、彼は如法に傍らに侍して、随時お世話をし、最後に村の端まで随伴した後、供養の品で一杯になった鉢を運ぶのを手伝って、寺院まで戻った。
毎月の満月、上半月、新月と下半月の四回の斎戒の日には、達頌は、得難い機会とばかりに、一日中寺院にいて、謹厳に持戒し、僧たちと世話話をし、雑用をした。
小さな子供としての、達白の生命のエネルギーは、物質の世界と精神の世界の間を、自由に行き来した。
しかし、天には予測出来ない風雲があり、彼女が五歳の時、この二つの世界は、両方とも崩れ落ちてしまった。
完全に予兆もないままーー彼女はこのような出来事が生起することを夢にも思った事はなかったーー母親が卒然として、病を得たのち、亡くなったのである。
彼女はひどく驚き、困惑したが、以前には当然と思っていたことが、今では、すべてが瓦解してしまったのである。
簡単な葬礼の時、達白は、母親の硬く冷たくなって、白い布に包まれ、荒削りの焚き木の上に置かれた身体を見つめた。
焚き木に火をつけると、大きく炎が上がり、白い布と皮膚を焼き、肉が露出し、亡骸全体が歪んだ。
達白は、それ以上は見続けることができなくて、辛くて生きていけないがの如くに、後ずさりした。
最後に、火は滅され、灰と骨だけが残った時になっても、彼女はその光景をみることができなかった。
母親の逝去は、年端もいかない達白に、無常と離別は、人生の一部分であり、生命は痛苦と死から逃げられないということを教えた。
家族ーー特に二人の兄、翁と英ーーの支えによって、達白は徐々に悲痛の中から歩み出すことができた。
二人の兄は、深く深く、この清らかな目をした、意志堅固な妹を愛しており、彼らもまた母親の逝去によって打ちひしがれているにせよ、それでもなんとか方策を講じて、妹を慰撫しつづけた。
しかしながら、最終的には、彼女と父親の間に打ち立てられた斬新な、更に親密な、相互の関係性が彼女の心を解かして、ようやく、悲しみの陰、憂いの陰から出てくることができた。
愛妻が去った後、達頌は、斎戒の日には、達白を連れて、寺院に行くようになった。
彼女は父親と一緒に、そこに何時間も座り、周りを見渡し、白昼夢を見、そして最も重要なことーー癒しをした。
彼女はますますもって、寺院の雰囲気に耽溺し、暇さえあれば寺院に入り込み、マンゴーの木の下に座って、何もしないで静かに、安寧の心境を享受するのであった。
(3-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>