Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-89

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

≪増支部・二集≫の註釈に言う:

「尋が生起するのは、心を目標の法に向かわせるためであり、それはまるで、一羽の大鳥が飛び立つために翼を広げて、下方に向かって、空気を叩く動作をするのと、同じである。

というのも、それは合一して、安止にまで、導くからである。

伺の自性は、持続的に圧することで、それはちょうど、当該の鳥が翼を用いて、天空を滑空するのを維持するためにする動作のようである。

というのも、それは目標を持続的に圧するが故に。」

これは、伺が釘付けにする現象に、合致する。

この種の区別は、ジャーナ五分法の中の、初禅と第二禅の間において、非常に明確である。

次に、一つの手で、汚れた金属の盤を持ち、もう一つの手で粉・油とウールの布きれを持って、当該の盤を磨くとき、尋は盤を掴んでいる手、伺は盤を磨く手に相当する。

同様に、左官が棒を用いて輪を回してお皿を造るとき、支える手は尋、動かしている手は、伺に相当する。

同様に、円を描くとき、中心点に固定した針は、心を目標に向かわせる尋であり、円を描いて回る針は、持続的に目標を圧する所の伺である、ということになる。

(5-90につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>