Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-7

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

一軒の家には、誰か一人、早起きして火を起し、ご飯を炊く人が必要で、誰かが、三度の食事を準備しなければならないし、茶碗を洗い、掃除・洗濯をしなければならない。

そのほかに、綿花は糸にしなければならないし、布は織らねばならないし、衣服は縫われなければならない;

また箒を作り、籠や食器:ご飯を盛る竹の器、茸や野菜を入れる籐の籠などなど・・・。

少しばかりの訓練を経て、達白はこれら体力を要する労働に慣れていった。それぞれの仕事の細部では、非常に長い時間をかけて、その秘訣を知るものだが、彼女は小さい頃から、色々な仕事に熟達した。

家庭内の雑務を整える以外に、彼女は、田または森の近くまで行って仕事をしたが、これらの肉体労働も、また別の技術と知識がなければ、上手にこなす事はできなかった。

達白の母親は、生前、よく彼女を連れて、野山に出かけ、山菜や木の実をなどの、食べられる植物を採り、時には、遠くの池まで行って、魚を捕まえたりした。

今では、彼女は伯母と、彼女たちの子供と出かけて、毒キノコと食用キノコの違い、甘い山菜と苦い山菜の違いを、学んだりした。

種を蒔く事、収穫する事、採集する事、食糧問題は、日常の生活の中においては、一番の関心の焦点であった。

軟らかくて香りよいもち米は、普泰人の主食であり、故に、お米は、村民の生活とは切り離せないもので、当地の人々の生活様式に、深く影響を与えた。

雨季の前、農民は、先に小さな苗代で、苗を育てる。

雨季がやって来ると、大量の雨が土地に滲みこむので、その時、農民は水牛を使って、田を耕す。一度耕した田を、今度は足で踏みつけ、どろどろの泥土にしてしまう。

このように処理した稲田は、軟らかい土となり、苗を植えるのに相応しくなる。

この時、群れを成した女性たちが、一抱えの苗を持って、腰を曲げて、後ろに下がりながら、小さな束の苗を、田の中に差し込んで行くが、それは、一列毎に、美しく整っていなければならなかった。

田植えは、体力を消耗する作業ではあるが、それが却って、村民を団結させることになった。

達白の母親が逝去した後、田植えの時期には、家の女性たちは、彼女の父親の田で苗を植えた。初めの時、達白は、小さすぎて、これらの肉体労働に参加する事ができなかったが、彼女はあぜ道に立って、女性たちがまだうす暗い早朝から、泥沼の中を行ったり来たりして、仕事をしているのを眺め、自分が速く大きくなって、彼女たちと一緒に、仕事をしたいと思ったりした。

達白の母親が逝去した後、達頌は決まりに従って節を守り、その後に再婚した。

継室は一人の年若い寡婦で、小さな女の子を連れてきた。彼女の夫はペストでなくなったのだが、この時代、田舎ではペストが爆発的に流行することがあり、それは巨大な破壊をもたらしたが、もともとすでに艱難である生活に、更に多くの苦難が降りかかった。

達白は、この継母が好きで、二人はすぐに仲良くなり、継母の連れてきた女の子とも、友達になった。

これらの変化は、新しい日々の始まりのようであり、達白に笑顔が戻り、何を見ても嬉しかった。彼女の歓びと楽しみは、田舎での苦難の生活をすべて、溶かし去ってしまうが如くであった。

しかし、世間は無常であり、達白の異母弟は、生まれてすぐに天に召され、彼女は再び、別離と悲しみに打ちひしがれた。

無常というこの苦渋の真相を体験するーーこれはまるで、彼女が、この変遷し離別しなければならない世界の中で、必ず学ばなければならないと決まっている宿題のようなもので、彼女は周囲の一切の物事が、日毎、季節毎、不断に崩壊しては更新されていくのを見た。

無常は生命の中において、真実明確に存在しており、愛別離は、生活の一部分であった。

普泰の村の生活は、異常なほど艱難で、女性たちの雑務が終わることはない。

歳々年は変われど、炊事、洗濯、縫い物、機織り、編み物、田植え、刈り取り・・・。

仕事は達白と継母の距離を縮め、二人は助け合って、途切れる事のない作業に取り組み、きつい仕事を分担し、二人で一緒に、ほっと一息ついりした。

達白は、仕事の中から多くの事柄を学んだ。

当地には学校がなく、彼女は正規の教育を受けることができなかった。家が、田が、森が、彼女の学校となり、彼女がこれらの場所で学んだ事は、人生にとって不可欠の学びであり、それはーー愛、出離、無常、忍耐、失望と決意、苦悩と捨であるが、それらは彼女の一生の支えとなった。

彼女は、少女の時代に、このような教育を受けて、ゆっくりと成長していった。

(3-8につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>