Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-11

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

そのような事から、それぞれの田舎の村の真ん中に、仏教寺院があるにはあっても、神霊信仰が、村民の日常生活の、重要な位置を占めていた。

アチャン・サオは、長年、村々を行脚して、村民に持戒の功徳を説き、彼らの行為と信仰が齎す結果について、解説した。

彼は、神霊の存在を否定しなかった。これら神霊はどこにでもいたーー森林、木の上、高山、洞穴、河川、稲田、土地と空にーー彼はこの種のアニミズム信仰を許したが、彼が反対したのは、神霊が人類の煩悩の根源であるとか、または、神霊が苦難を齎すのだという考え方だったが、故にまた、彼は、犠牲の動物を用いて、神霊に賄賂を与え、そのことによって、災難や悪運から逃れようとすることにも反対した。

鬼神は太陽、雨、朝霧と同じように、普泰人の田舎での生活の一部分であり、出生や生活、死亡と同じように、分割できないものであった。

アチャン・サオは、鬼神を排斥することはなかったが、しかし、彼は村民に対して、鬼神もまた、我々と同様に、その一人一人が、己自身の行為の果報を受けがわねばならず、それらは皆、過去の業によって、鬼にもなりえ、神にもなりえるのだと教えた。

これらの、鬼神を祭祀することの問題は、彼らに、大きすぎる力を、与えてしまう事である。

アチャン・サオが指導する所の重点は、因果の自己責任であった:喜悦とを悲しみ;楽しみと苦痛;足るものと足らざるもの;これら一切は個人が過去において造りし業と、今現在の行為の結果であった。

普泰村の村民は、徐々に心の転換を感受し始め、一戸また一戸と、信仰を変えたーー仏陀と、己自身の、持戒の功徳による守護力を信じ、多くの村民は、祖先を供養する為の神龕と神像を、すべて燃やしてしまった。

ただ、何人かの村人は、このようなやり方に対して、神霊はどのように反応するのか?報復をしないものだろうか?と、仏教に対して、懐疑的な態度をとった。

(3-12につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>