Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-14

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

不要懐疑禅修的価値、也不要低估自己的能力。

(禅修行の価値を疑ってはならないし、己の能力を低く見積もってもならない)

在追求真理的道路上、不管修到哪里都満足于当時的成績、

(真理を追求する道において、どこまで修行したかに関わらず、その時々の成果に満足する事)

因為這個成績反映了部分的真理、是你可以依凭的。

(この成果は、部分的に真理を反映しており、あなたが拠り所にしてもよいものなのである)

生涯の祝福

アチャン・サオは卉晒村一帯に、合計三年ほど滞在した。最初は森林の端にいて、その後に、もう一つの端に引っ越した。

アチャン・サオたちが引っ越しを希望する時、達頌はいつも一緒に彼らと共にいて、新しい引っ越し先を探してやり、その後に、友人たちと一緒に、小さな茅葺小屋を建てて、サンガに布施をした。

アチャン・サオが坎差伊県に別れを告げて、北方へ行脚しようとした時、この地域の、宗教的な環境は、完全に変化していた。

彼の影響力はかくも広く、大部分の村民は、神霊への崇拝を捨てて、仏教を受け入れた。

達頌は、他の人々と同じように、仏教がこの地で旺盛になった事を喜んだ。

アチャン・サオが村を離れる時、彼の心は悲しみで一杯になると同時に、すでに仏法が、普泰族の居住区域において根付いた事を喜び、また安心した。

しかし、達頌は思いもしなかったのだが、アチャン・サオが去った後、もう一人の、その当時、最も尊敬される森林仏教の禅師が、間を置かず、続いてやって来たのである。

タイの現代仏教史上、アチャン・マンの一生と果の証悟は、崇高無比な地位を有していた。

聞くところによると、彼が開示する所の、甚だ深くて微妙な仏法の威力と摂受力は、人以外の有情でさえも、心底悦服した、という。

天神、龍、キンナラ鳥と阿修羅はすべて、彼の慈悲の光の中に、まどろんだ。

彼の優れて厳格で、刻苦の修行の道は、彼をして頭陀僧とならしめ、その当時において、苦行の道風を切り開いた。

彼の弟子は数が多く、皆、彼を模範とした。

彼は円満で欠点のない心霊の戦士として、決して妥協することのない戒律によって、これらの弟子を統率した。

伝説によると、一目アチャン・マンを見るだけで、一生涯幸せでいられた、という。

(3-15につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>