Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-16

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

最初、達白は、アチャン・マンの優しいけれど、威厳のある様子に接して、少々怖いと思った。

アチャン・マンが早朝、村に托鉢に来るとき、達白は食べ物を鉢に布施したが、この時、アチャン・マンは度々立ち止まって、彼女に、自分に会いに来るように言った。

しかし、達白は恥ずかしさを感じ、またアチャン・マンを、尊敬と同時に畏怖していたので、仏教の催しのある日だけ、両親や村人たちと一緒に行って、彼に親しんだ。

アチャン・マンは、彼女に格別親切であった。

斎戒日には、彼女が来ているかどうか気にして、彼女とよもやま話をした。

アチャン・マンは直観で、彼女が尋常でない修道の素質と、深い敬虔な心を持っている事に気が付き、故に、彼女に、禅の修行をするように勧めた。

彼の指導は、基本的には、アチャン・サオの方法と同じであった:禅の修行として、心にただ”仏陀”しか浮かばなくなるまで、不断に、”仏陀”という言葉を唱え続ける、というものであった。

アチャン・マンが実践において強調したのは、心を収めて修行する時ーー心内において、一文字一文字明らかにしながら、不断に ”ブッーダ、ブッーダ” と黙然しながら、それ自体に専注し、念を留めることを保ち続ける、というものであった;

一回毎の ”ブッーダ” の生起と消滅に気づき続ける事。

彼女は、この方法は非常に簡単だと思ったものの、内気で慎重な性格のせいで、最初は試してみる気になれなかった。

アチャン・マンが何度も何度も、彼女に禅の修行をすべきだと言い聞かせるので、達白は、自分はもしかしたら、ある種の素質があるのかも知れないと思い、心の中で考えた:

「私はただの田舎の女の子だけれど、何か特別の才能があるのかしら?そうでないとしたら、なぜ、彼は、私をこれほど、気に掛けてくれるのか?彼は深い慈悲でもって、私を教え導いてくれるのだから、今日から私は、彼の言うとおり、禅の修行を始めよう。」

(3-17につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>