<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここまで考えると、彼女の心は決まり、目の前に横たわっている死体を専注した。
目の前のイメージは、依然として鮮明であり、変化することはなかったが、その為、彼女は自分が本当に死んだのだと確信した。
彼女は、己が死んだらどうなるのか、考えてみたが、納得できる答えは、得られなかった。
この時、一群の村人たちが、突然、彼女の目の前に現れ、ゆっくりと彼女の身体を持ち上げ、死体を担ぎ上げて、近くの墓地に運んで行った。
村人たちは、彼女の身体を、墓場の中の、人気のない場所におくと、次には、アチャン・マンと何人かの出家者が、神妙な面持ちで、死体に近づいた。
アチャン・マンは死体の側に立って、暫く死体を見ていたが、僧たちに言った:
「この女の子は死んだ。これから私が、葬式を取り仕切る。」
出家者たちは、頭を垂れて、静かに傍観し、アチャン・マンは ”諸行無常・・・” と念誦し始めた。
”身体を構成する各部分が、それぞれ死んだ後、身体そのものは、もう何の役にも立たない。しかし、心が身体と共に、死ぬということはない。それは引き続き、不断に作用する。
もし、この心を使って、善行を育成するならば、その利益は無尽蔵である;
もしそれを使って悪行をなすならば、それは己自身に害をなす。”
アチャン・マンは、上のような言葉を、三度、ゆっくりと、静かに繰り返し、その後に、姿勢を正して静かに立ち、手に持った杖で、死体を三度叩き、一回ごとに、下のように念じた:
”我々の身体は無常である。生まれた限りは、必ず死ぬ;
我々の心は永恒であり、それは生まれる事もなく、死体と共に死ぬということもない。
心は、因と縁に牽引されて恒常に移動し、旋回し、変化している。”
アチャン・マンは手に持った杖の先端で、リズミカルに死体を叩き、叩きながら、上のような道理を説いた。
軽く叩いている内に、彼女の死体は腐乱し始め、一回叩く毎に、死体は腐乱を続け、先に皮膚が膨張して破裂し、中の筋肉が見えるようになり、次には筋肉も腐り始め、骨と内臓が露出した。
達白は、その様子を見ながら放心していたが、その内、死体はただの骨だけになった。
アチャン・マンは骨骸の中から心の ”真髄” を取り出して、掌に乗せて言った:
”心は永遠に滅することはなく、もし、心が滅したならば、あなたは、二度と意識を復活させることができないであろう。”
(3-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>