<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
達白は、情景の成り行き全体を見ていて、心内は畏怖と驚きで一杯になったが、この出来事を、どのように理解していいか、分からなかった。
アチャン・マンが話し終わると、彼女は困惑した:
”もし、人が死んで、身体には骨しか残らないとしたら、何によって意識が、回復するのか?”
アチャン・マンは依然として掌の上の ”心髄” を凝視したままで、決して達白の方を見なかったが、彼女の戸惑いには、即刻、応答した:
”意識は戻ってこなければならない!
意識を伴って戻ってきた心髄は、ここにある。
君の意識が、戻ってこないなどということはありえない。
明日の明け方、君の意識は回復する。” と。
達白は一晩中座禅したが、完全に、己自身の死体のジャーナの中にいて、黎明が来たとき、心はようやく、サマーディから退出した。
彼女は知覚を回復した後、頭を巡らして、ベッドの上の身体を見てみたが、己が死んではいないことが知れて、ホッと一息ついた。
彼女は完全に、日常生活のレベルの意識に戻り、生きている事を歓ぶと同時に、昨晩発生したことを振り返り、禅の修行の時に、眠ってしまった上に、一晩中、夢を見ていたと、自分を責めた。
アチャン・マンは失望するに違いない、と思った。
当日早朝、アチャン・マンは托鉢の為に、達白の家の前を通ったので、達白は食べ物を鉢に入れて布施をした。
彼は最初、彼女を不思議そうに眺めていたが、その後に微笑んで、そして、食事が済んだ頃、自分に会いに来るようにと、彼女に伝えた。
達頌は、娘を連れて、よく知っている山道を歩いて、アチャン・マンの住んでいる場所に行った。
どうしてアチャン・マンが、彼女に会いたいのか、理解できなかったので、少しばかり気持ちが重かった。
達白は、黙って父親について歩いたが、頭の中は、昨夜の出来事で一杯で、禅の修行の時に眠ってしまった自分が恥ずかしかったし、それをどのようにアチャン・マンに伝えていいのか、困っていた。
彼女はどこかに隠れてしまおうと思うのだが、どこに隠れていいのかわからなかった。
彼らは二人で、出家者が仮住まいをしている場所まで来たが、達白は、少し用事を思い出したと言って、水辺に行き、女性たちに交じって、水を汲んだ。
アチャン・マンは、達頌が一人でやってきたのを見て、訝りながら、達白はどうしたのだと聞いた。
達頌は、川べりに娘を迎えに行き、アチャン・マンの所へ連れて行った。
達白は緊張しながら、坂を上ってきて、アチャン・マンに三拝したが、彼女が息を整える間もなく、アチャン・マンは聞いた:
”君、昨夜の禅の修行は、上手くいったのかい?”
彼女はしどろもどろになりながら、答えた:
”アチャン、全くもってだめでした。
私は、念仏を 15 分くらい称えた所で、深い井戸に落ちたようになり、その後は、寝て仕舞いました。
一晩中夢を見ていて、朝になって目が覚めました。
禅の修行をしっかり実践しないなんて、自分自身にがっかりしています。あなたは私の事を、怠け者だと言って叱るでしょう。”
ここまで聞くと、アチャン・マンは気持ちよさそうに笑いないが、本人に直接訊ねた。
”教えておくれ。
君はどんな風に眠ったの?
どんな夢を見たの?”
達白が昨夜の出来事を伝えると、アチャン・マンは大笑いして、嬉しそうに言った:
”それは寝ていたのじゃない!
夢をみていたのじゃない!
君が体験していたのは、静かな、調和のとれた境界で、サマーディまたは定とよばれるものだ。
この体験、境界をしっかり覚えておきなさい。
君が夢だと思ったものは、実際は、深い定の中に自然に出現した禅相だ。
もし、別の日に、この種の境界になったら、リラックスして、それが自由に展開するようにし、心配したり怖がったりしてはいけない。
怖がる必要がない事を、覚えておきなさい。
しかし、禅の修行中に浮かび上がる、如何なる現象にも、鋭く気づいているべきで、明確に了解していなければならない。
私がここにいるかぎりは、君が傷ついたりすることはないが、今日から君は、禅の修行の時に見た禅相を、どんなものであろうとも、すべて私に報告しないなければならない。”
(3-20につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>