Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-22

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

アチャン・マンは、朗々とした力のある声で、布施の真正なる意義を説いた:

布施の功徳は、自我の犠牲的行為である。

他人に対して、見返りを期待せずに、無条件に利益するのは、布施を受け取る人に、豊穣を齎す。

その種の行為は、人として、布施の中では、よりよい功徳をなすものあり、心は、この善行を通して、福徳と善良な品格を、蓄積することができる。

心が、布施という善法の欲を、激発する事を通して、心は、善なる種を蒔いたのであり、いずれその同じ心が、善の果報を収穫するのだ、ということを、彼は強調した。

布施は、未来の安楽・果報の因の種である。

というのも、それは善道に往生する為の、基礎を打ち立てるものであるが故に。

続けて、アチャン・マンは、持戒の功徳を開示した。

彼は持戒とは、聖人君子の基本的な品行であり、誠実に五戒を受持して初めて、功徳を獲得できる、と説いた。

それぞれの項目には各自、特定の利益がある:

不殺生戒の果報は、健康と長寿であり;

不偸盗戒の果報は、己の財産が偸盗に会ったり、損失に見舞われない事であり;

不邪淫戒の果報は、夫婦の相互の信頼であり、足るを知り、罪悪感と羞恥心なしに、生活できることである;

不妄語戒の果報は、誠実であるが故に、人々から信頼され、尊重される事である;

不飲酒戒の果報は、己の心が内外の干渉を受けず、理性的で理知的な心を持つ人となり、騙されたり、愚かになったりすることがない。

厳格に浄戒を保つ人は、一種の、知足でありつつ、また、信頼できる人となりを醸しているもので、どこに行っても、その地域の衆生に、影響を与えることができ、衆生を安心させることができる。

戒行の力は一人の人間を保護し、心のレベルを高めることが出来、また来世において、さらに高い階層に生まれ変わることを保証する。

故に、謹厳に持戒する人は、来世においては、必ず天界に、生まれ変わることができる。

これが持戒の利点である。

アチャン・マンは次に、禅の修行が、我々に最大の果報を齎すことについての、解説をした。

この宇宙全体で、心は最も重要な要素となる。

人の一生は、色身の健康であろうと、心霊の幸福であろう、すべては、心の美しさにかかっている。

人は、心に依存して生活しており、人がその一生涯において、体験する喜びや悲しみは、すべて心が感じ取るものである;

人の逝去は、色身から心が離れるが故に亡くなるのであり;

人は、己の業によって生まれまわるーー業もまた心が根源となっている。

心は一切の根源であるが故に、今・ここの幸せと、未来における幸せのために、この一粒の心を鍛錬することは、必要不可欠な事柄なのである。

我々は、禅の修行を通して、心を正しく訓練することができ、禅の修行を通して、妄想を克服し、心の安定の基礎を打ち立て、心をして、静かで満ち足りたものにする事ができる。

その後の三か月、達白は熱心に、禅の修行をした。

彼女のアチャン・マンへの強固な信頼によって、彼の指導の下、修行は飛躍的に進歩した。

達白は天性、禅相を見る事と、神通の境地を誘発することに長けており、その結果、毎晩、非常に多くの、奇妙で神秘的な境界を遍歴することとなった。

達白の天賦の才を思い、アチャン・マンは、特別彼女に目をかけた。

毎晩、坐禅する時、アチャン・マンは意識の流れを達白に向け、彼女の心識の状態を調べた。

故に、彼女の禅の修行に関する体験は、掌に乗せて見ているようで、彼女の修行が出色である時、翌日の朝には、彼女をお寺に呼んで、小参、すなわちインタビューを行った。

(3-23につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>