Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-26

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

達白は、いつ終わるとも知れない雑事の中にいたーー油や塩や薪や米、三度の食事、雨の日の仕事、風の日の仕事、年若い女性が永遠に終わらせることのできない、あれやこれらの雑事の中に。

彼女は明け方、黎明の前には起き上がり、薄暗い蝋燭の光の下で、色々な仕事をすばやくこなした。

まずは炭をカマドに入れて火を起し、火だねが大きくなった所で、水に漬けて置いたもち米・・・彼女たち夫婦とその他の家人のための、三度の食事に必要な分量を竹かごに入れて、一度にそれを蒸してしまう。

その他には、家の裏か、高床式の建物の下で飼っている家畜に、水と餌をやった。

水は、このあたりでは、長い間の難問で、村民は、皆で一つの井戸を使っていたが、その井戸はそれほど遠くないところにあった。

村民は、井戸から水を汲んで二つの桶に入れ、それを肩に担いで家に戻った。このようにして、彼らは、家中の貯水用の大甕がいっぱいになるまで、何度も水を運んだ。

水汲みは重労働であったが、しかし、怠けるわけにはいかなかった・・・というのも、どの家も、飲み水や食器、衣類の洗濯、熱い気候の中でシャワーを浴びて清潔を保つ等、どうしても水が必要で、どの家も、水汲みを怠る訳にはいかないのであった。

田舎の生活に、田植えは欠かせない。

田植えは、一年に一度の雨季を、待ち望む。

雨季の到来は、よい前兆であり、皆に慶祝され、歓迎された。

しかし、雨季はまた、更に多くの仕事が増えることを意味していて、更に多くの辛苦、きつい労働が増えるのであった。

五月初めの最初の大雨は、休耕していた土地を湿らせ、村民たちは、二頭の強壮の水牛に、重たい、木製の梨を嵌めて、水田の中を行ったり来たりして、土地を耕した。

耕した土地は、足で踏み均し、泥田に変えた。

乾季の時、村民は、川の水を田の中に引いて、苗を育てた。細心の注意を払って苗を育て、田植えができるまで大きくした。

雨季が来て、田圃を、稲苗が植えられるように手入れをすると、一群の婦女が、一列に並んで、泥田の中で腰を屈めて、一歩一歩後退しながら、まるでラインダンスを踊っているかのように、泥臭いにおいのする泥田に、苗を植えて行った。

雨季がやってくると、村の景色は、まったく別のものになった。

空には一陣また一陣と、雨雲が立ち込め、田圃は緑が濃くなり、周囲の丘や山には、竹がさわさわと揺れ、緑色濃い鬱蒼とした大地は、そぼ降る雨の中に、時折、姿を現し、時折、姿を隠して、見えなくなった。

水を張った水田は、それぞれ高さの異なる、青い苗を、空に向かって、抱いていた。

早朝、村は、静寂の中で、熱気と湿気に満たされ、夕暮れ、田圃の側で蛙がクワクワと鳴き、時折、池の側で、雁が鳴いた。

毎回、雨季が来るたびに、達白は戦々恐々とした。

彼女は、八月には、西南の季節風が弱まるために、雨量が足りなくなることを心配し、九月には、暴虐の台風が、この地に洪水を齎し、降り続く雨が、この地を蹂躙して、黄土の泥道が雨水に押し流され、水牛が歩き回り、牛車が行き交うことによって、轍が出来て、人も家畜も、一歩も進めなくなることを、心配した。

雨季の季節全体において、時に、雨は盆をひっくり返したかのように降り、時に、篠付くように降った。

稲は、これらの雨や風に打たれて、茎高く、緑濃く、立派に育った。

稲は、10 月に花を咲かせるが、この時、水田は一面の黄金色の稲穂の海となり、秋風の下で、ゆっくりと揺れた。

収穫の時が来ると、達白の家人は全員、水田に集まって、稲刈りをし、鎌で刈り取った稲穂は、畔の間の空き地に、積み上げた。

この作業は、何週間も続き、皆は灼熱の太陽の下で、腰を曲げて作業をし、手が動けば鎌も動き、一列また一列と、収穫にいそしんだ。

その後には、しっかり結実した稲の穂を、地面に並べて、太陽の光の下で、干した。

今、達白は、新しい家庭の農業の担い手となり、労苦を厭わず愚痴も言わず、家内の仕事と、田畑の管理をした。

何週間もの時間をかけ、雑草を取り、畔を踏み固めた。

収穫の後、彼女と布麻は、田圃の端で徹夜したーー今年初めての収穫ーー来年の食糧ーー稲穂はしっかりと完全に乾燥して初めて、脱穀することができる。

脱穀と篩は、みな女性の仕事で、この事は、達白と他の女性たちは、昼間の仕事を終えた後に、冷え込む夜にもまた、外で稲穂の番をしなければならない事を物語っていた。

脱穀は、稲穂を高く持ち上げて、その後に地面に打ち付けるというもので、そのことによって、穂についた米粒を、脱穀した。

達白と他の女性たちは、すべての稲穂が打たれて、地面に米粒が山のように積まれるまで、長時間、上を向いては腰を伸ばし、その後に、下に向かって稲穂を打ちおろす作業をした。

それが済むと、篩にかける作業が続く。

篩は竹で編んだ、穴の開いた円形の大きなお盆のようなもので、篩の上に米粒を一杯載せて、それをふるって、米粒を空中に舞いあがらせ、その時、風が糠を吹き飛ばす、という仕組みであった。

その後には、十分に乾燥し、脱穀して、糠を取り去った新米を袋に入れ、隊列を組んだ牛車に乗せて、村に運び込び、銘々の家の、米蔵に積み上げた。

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>