Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-30

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

供を育てる事は楽しいし、興味が尽きない。

メー・ケーウは、ストレスの多い生活の中で、いくらか気持ちを分散させて、一息つくことで、とりあえず、悶々とした気分を、緩めることができた。

彼女の心内では、己の修行に対する憧れを、誰かに聞いて貰いたかったが、しかし、ちびっこケーウは幼な過ぎたし、天真爛漫で、世間の苦難など知る由もなかった。

メー・ケーウは、長い間、己自身に、世間の苦難が影のように付いて回り、また、周囲にいる人々の苦しみを見て、心が痛んだが、その痛みは日増しに大きくなった。

平凡な村民たちは、毎日、仕事の為にもがき苦しみ、青年の頃から年老いるまで、また死ぬまで一生涯、働きづめに働くのを見て、彼女は生命の残酷さを想った。

生まれる事は死ぬ事であるという悲劇には、洪水に蹂躙された後に、干ばつに襲われるような、残酷さがあった。

メー・ケーウが、ちびっこケーウを養女にしたその年、達頌が亡くなった。

歓びの後に、続いて来るのは、悲しみであった。

この年は、長く雨が降らず、田畑の収穫が出来なかった。

楽しみと苦痛は、手を繋いで顔を出すが、それはまるで、牛車の二つの車輪のようで、左右同時に回転しながら、人を死に追い立て、新しい生命を生み出し、その後にまた、車輪はねん転して、止まない。

メー・ケーウは、生命全体を支える主軸は、苦難でできており、一切は無常に変遷しており、誰も苦しみから逃れられないのだ、と思った。

これほど多くの暴風に吹かれ、暴雨に打たれたメー・ケーウはしかし、その喜怒哀楽の中においても、初心を忘れることはなかった。

彼女は、どのような転変を体験しても、心の底では、出家が彼女の最終目標であり、そのことに関して、かつて一度も迷ったことはなく、それは彼女にとって、決して揺るがない、信念であった。

彼女は時々、己が農々寺で出家した様を想像したーー剃髪し、白い三衣を着て、素朴で、単純で、かつ安らいで静かな環境の中にいて、誰の干渉も受けないーー静かな出離の生活の中で、修行を再開する自分を。

(3-31につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>