<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
8-8-4-3 観禅修行時の呼吸
しかしながら、観禅においては、いまだ究極法を観ずる前の身行(=息)は、粗く、四界を観察している時の身行は、比較的微細である。
所造色(=造られた色、物質)を観じている時の、身行と比較すると、これも粗いと言える;
一切の微細色を観察している時の、身行と比較すると、これも粗い;
微細な究極名色法、及びそれらの因と縁を、観照している時の、身行と比較すると、これも粗い;
堅実・堅固に観智する時の、微細な身行と比較すると、微細な観智の時の身行は、粗い。
なぜか?
禅の修行において、(+修行の内容が)段階を追って向上する時、それらは、ますます微細になるからである。
ここにおいて「安らいで静か」とは、後と前で比較している、相対性を擁する、安らかさと静けさである、と理解するべきである。
粗さと微細さに関する法と、次第に向上する安らかさと静けさについては、このように、理解するべきである。(《清浄道論》)
(5-98につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>