Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-17

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

常住の僧侶と尼僧への、村民の干渉を避けるために、お寺は、早急に、何らかの方法で、この問題を解決する必要があった。

尼僧たちは、寺院を遠くに引っ越すことは、考慮に値する方策だと考えた。

というのも、そのようにすれば、寺院を、村民から引き離す事ができるから。

メーチ・タンは、日常的な清浄が、村民の俗事によって乱されるのを避けるために、将来的にも、僧侶と在家は、一定の距離を保つのがよい、と考えた。

農々寺の住職アチャン・カンパンは、アチャン・サオの古参の弟子で、持戒厳しく、禅の修行に優れ、村人に尊敬されている、頭陀僧であった。

アチャン・カンパンは、寺院の住職としても、また弟子を指導する年配者としても、サンガの利益を守る責任があった。

寺院内に住む在家男性にも被害が及んだため、メーチ・タンとメーチ・インは、アチャン・カンパンとこの事について、詳細に語り合った。

もちろん、最終的な決定権は、アチャン・カンパンにあった。

アチャン・カンパンは、彼女たちとよく相談した後、付近の山にもう一軒寺院を建てて、引っ越しをしよう、という事になった。

彼に付いて行きたい出家者は、彼に付いて行き、そうでない者は、農々寺に残ればよい、とした。

皋山は、磐山山脈が伸びた先の、いくつかの山丘の中にあり、卉晒村とは6マイル離れていた。

歩くか、または牛車に乗っていた時代、高低差のあるここの地形は、人々を拒絶したし、故に、辺鄙であった。

彼らが選んだ場所は、嶺の崖の下で、崖の高さは  10mほど、その崖は傾斜がひどく、登ることが出来ない。

眼下は、竹が濃密に茂り、紫檀が群生する斜面であった。

崖岩が大きくはみ出している部分は、枯れた苔に覆われ、その下は長方形に開かれた大きな洞窟で、そこに身を隠す事ができた。

上方にせり出した大岩があるため、洞窟の中は、太陽光が届かず、雨に濡れる心配もなかった。

(4-18につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>