<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
来た当初、ここには、何もなかった。
僧と尼僧たちは、各自に割り当てられた洞窟に、湿った地面から離れる様に、簡単な、竹でできた高床式のプラットフォーム、平台を作った。
これなら、禅の修行ができるし、住むこともできる。
当時、厠を建てていなかったので、各自各々、崖の隅に行って用を足したが、いつも、いたずら好きな猿の群れが、木の上から、見ていた。
水は、ここで生きていくのに必要な、最も重要な資源であると共に、最大の難問でもあった。
最も近い水源は、山の谷底にある一本の渓流であったが、歩いて行くのに、30分かかった。
皆で相談した結果、新参のメーチが、水汲みを担当する事になった;
男性たちは、近所の農夫と一緒に、新しい寺院の基礎を作ることになった。
毎朝、朝食が済むと、メーチ・ケーウは竹でできた天秤棒の先に、二つの空桶をぶら下げてそれ担ぎ、他の女性たちと共に、水を汲みに出た。
彼女は、狭くて細長い坂道を通らなければならなかったし、あちらこちらに埋まっている木の根っこ、所構わず顔を出している石ころを避けて、歩かねばならなかった。
渓流にくると、その水を、桶一杯に満たした。
その後は、水で一杯になった二つの桶を、天秤棒にぶら下げて担ぎ上げ、険しい山道を戻った。
水が桶から零れ落ちないように、彼女は小心翼々で、洞窟に戻ってきたときは、息も絶え絶えであったが、水をあけて桶を空にすると、再び水を汲みに出かけた。
こうして、日に何度も何度も、山道を往復した。
(4-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>