Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-19

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

水汲みというのは、重労働である。

毎日毎日、重い足取りで、登り、下り、また登り・・・、メーチ・ケーウは、疲れを知らぬかのように、同じ労働を繰り返した。

重労働にあっても、道心は揺らいだ事はなく、彼女は世俗の逆境を、修行上の増上縁にしようと決心し、道を歩くときは ”ブッーーダ” ”ブッーーダ” と一文字、一文字黙然し、やがて黙然すれば、たちまち心が平静になり、天秤棒も軽く感じられるようになり、作業にあたって、それほど疲れる事もなくなった。

メーチ・ケーウにとって、心の扉が開いた後、水汲みは簡単な労働となった:

それは、身の丈にあった、ちょど良い分量の仕事を、この時この場でこなし、一歩の次は、また一歩歩む、ただそれだけのことだ、という認識を、明白に、得る事ができたが故であった。

メーチ・ケーウの兄たちが、状況を探りに、皐山に来た。

彼らは彼女の暮らしぶりをみて、その辛苦のほどに、震撼し、驚いた。

彼らは深く妹を愛していて、彼女の苦労を減らす為に、苦しみは共にという精神を発揮して、尼僧たちが、水を汲んで、山道を往復するのを、手伝った。

しかし、六人の男性と五人の女性が使う水の量は、半端なく、最後には、彼らも疲れてしまい、先ほどまであった<やる気>も、消え失せた。

彼らは、メーチ・ケーウに、卉晒寺に戻るよう勧めた。そこにいれば、少なくとも、兄たちが、何程かの援助を、する事ができるから。

彼らは彼女に、布麻は再婚し、家を売り払い、ちびっこケーウと家人を連れて、新しい町に引っ越して行った事を、告げた。

メーチ・ケーウは、それを聞いても、心を動かされる事はなく、アチャン・カンパンと共に、皐山で清貧なる修道生活を送る事に、決めた。

暫くすると、新しく建てた寺院は、初歩的な姿を現したが、しかし、本当にここに住み続けるのだとしたら、水源が一番の問題であった。

彼れらは、近所の山々を調べつくしたが、それでも、水源を見つける事が、できなかった。

万策尽きたかと思われたその時、ある日の夜、結跏趺坐して、背筋を伸ばし、己の内部に向かって専注していたメーチ・ケーウは一つの、つつましい願をかけた:

もし、我々が皐山で暮らし続けてよいのならば、どうか、お寺の近くに、水源を見つける事ができますように。

そして、そのまま、いつもの通り、瞑想した。

夜も更けた頃、彼女の心は深い定から出て来ると、一つの禅相が、自然に浮かび上がった。

それは、藤の蔓と背の高い雑草が、12面の池の上を覆いかぶさるように、生い茂っている、というものであった。

彼女はこれがどこであるかを知っていた。

というのも、かつて何度もこの付近を歩いたし、洞窟からは、遠く離れては、いなかったから。

次の日の朝、メーチ・ケーウの申し出により、尼僧たちは、彼女の指示に従って探索に行き、厚い水草に覆われた池を、幾つも発見した。

皆は意外な出来事に喜び、アチャン・カンパンは、メーチたちと当地の農民とで、藤の蔓と水草を取り除き、池の堆積物を浚うよう、指示を出した。

堆積物は、非常に多かった。

池を浚って、綺麗にした後、これらの池の水は、寺院が通年使っても、涸れるということはなかった。

(4-20につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>