<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
これらの禅相の多くは、殺された動物の神識で、彼らは、己の激烈な苦痛を和らげて貰うために、功徳が欲しくて、彼女の所へ、やってきた。
ある日の真夜中、メーチ・ケーウがサマーディから出てくると、今殺されたばかりの水牛の神識が、彼女の前に現れて、苦痛に耐えきれずに泣き叫び、彼の運命について、悲しみの訴えをした。
この水牛の神識は、亡霊のようで、彼女の禅相の中に出現するやいなや、即刻、己の悲惨な過去について語り始めた。
メーチ・ケーウは、心識でもって、彼の話す情報を受け取った。
その水牛は、彼女に、彼の主人は残忍で野蛮な人物であり、少しの慈悲心もなく、毎日、朝から晩まで、彼を追い立てて田を耕させ、車を引っ張らせたが、これまで一度も、彼の苦労を思いやることもなく、いつも鞭で打ちつけ、虐待した、と言った。
最後には、この可哀そうな動物は、木の幹に括りつけられて、残忍に屠殺され、食べられてしまった。
死に臨んで、彼は激烈な苦痛を感じ、頭を何度も強く殴られ、その為に、心裂けんばかり、肺もちぎれんばかりに嘶き、最後には、気を失って、その場に倒れてしまった。
この水牛の神識は、この時まだ、傷の中に浸っていて、前世の形体に執着しており、メーチ・ケーウによって、功徳を回向してもらい、来世には人間になるチャンスを得たいのだ、と言った。
この神識は、メーチ・ケーウの憐憫の心に鑑み、直接彼女に、水牛となって生まれた事によって受けた苦痛を訴え、水牛が忍従しなければならない、人間による野蛮な行為と、無情の虐待について申し述べた。
人として生まれたからには、たとえ貧苦で下賤であっても、畜生ほどには、虐めと侮辱を、受けたりはしない。
故に、水牛は、来世、人間になる事を、渇望した。
メーチ・ケーウは非常に驚いて、本当に、そのような残忍なことがあるのかどうか、訝った。
彼女は、近所の多くの農夫を知っているが、皆善良で、気の良い人たちばかりであった。
禅相の中で、彼女は水牛に対して、自分の疑問を伝達した。
水牛は自分の主人は残忍で野蛮な人であり、称えるべき人格などないのだと、言い張った。
そうではあっても、この水牛の心内は、恨み心で一杯であり、事実を歪曲している可能性があり、または主人が彼を打ったのには、理由があったのかも知れない。
彼女は率直に、彼に聞いてみた:
”あなたは他人の畑の作物を食べた事はないですか?
それとも、田圃の側の野菜を食べた事はないですか?
このあたりに住む農夫は、皆善良で、あなたが悪い事をしていないならば、なぜに虐待することがあるでしょうか?
私は、あなたが何か間違ったことをして、罰を受けたのだと思いますが、違うでしょうか?”
(4-23につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>