<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
メーチ・ケーウは、この不幸な神識の、悲惨な境遇に深く同情して、人道に往生できる種を蒔いて貰いたく、慈悲をもって彼に、功徳を回向してあげた:
”私の功徳を、あなたに回向します。
それによって、あなたが己の言動を守り、善根を育て、あなたの善なる品行を導き、資糧を蓄積して、真実、楽しい場所に、往生するようにと、祈願します。”
この水牛の神識は、メーチ・ケーウの祝福を受けて、彼女の殊勝な功徳の回向に随喜した後、軽快で歓喜の伴った心で、そこを離れた。
それはまるで、彼が生まれ変わりたいと思う所の善道へ向かって、針路を取ったようであった。
翌朝、メーチ・ケーウは当地の村人を一人呼んで、側に来てもらい、こっそりと、昨夜起こった出来事を、話して聞かせた。
彼女は彼に、あの水牛の前の主人である老通が、どこに住んでいるか、あの牛に、何をしたのかを、調べて欲しいと、言った。
また同時に、彼女がこの事件を調べている事は、老通に知らせないようにと、釘を刺した。
というのも、事が公になれば、老通は面子を失うし、老通が彼女を恨んだ場合、彼の悪業が、益々深まるが為に。
その村人は、彼女から話を聞くと、彼らは、二人とも同じ村に住んでいて、老通の事は、よく知っている、と言った。
昨夜の八時過ぎ、老通は、水牛を木の幹に括り付け、殺した。
村全体に、哀れな水牛の、必死の嘶きが、響き渡った。
殺した後、老通は、肉を焼き、たくさんの友人を招いて宴を催し、人々は騒ぎまわり、明け方まで、騒音が絶えなかった。
人が悪業を為しているのを見て、メーチ・ケーウは悲しかった。
心内の奥深い所で、彼女は、錐に刺されるような痛みを感じた。
それはまるで、悪業を為しているのが、自分の子供であり、その粗暴な行為に、彼女の、人間性への信頼が、裏切られたように感じた。
彼女は加害者と被害者が、怨恨、報復、暴虐と怒りの循環という悪業の中で、一世また一世と、相互に役割を変えながら、絶え間なく、下方へと落下して行き、ますますもって、暗黒なる悪道へと、向かうのを見た。
メーチ・ケーウは村人に、あの水牛が、もし救済を希望するならば、ただ、憎悪、恨みと復讐の念を停めて、他人の善行を随喜するしか、方法がない、と言った。
今現在、彼は鬼道の衆生であり、善を実践する事はできないが、しかし、他人の善行を随喜・讃嘆する事によって、心霊上においては、それを善行の功徳だと、見做すことができる。
あの水牛は、メーチ・ケーウと善縁を結んだが故に、善道に往生するための、第一歩を、すでに歩み出す事ができた。
未だ、生死輪廻から解脱できていない人は、よくよくこの事件を思惟して、どのような人間であっても、もし心の修行を怠り、戒の原則を守る事を軽視するならば、同様の境地に堕ちる事を、覚悟しなければならない。
(4-26につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>