Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-32

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

禅の修行と持戒の成果は、彼の心内が、真正の平和と静けさに満たされている事を、意味した。

彼は、異なる深さの定に証入する事に精通し、各種各様の境界において、豊かな経験を持っていた。

この見地から言うと、彼の禅の修行の深みは、メーチ・ケーウの天賦のもと相応した。

彼の心は自由に、甚深のサマーディに入ることができたし、多くの心霊の領域の衆生と頻繁、密接に接触する事ができた。

故に、メーチ・ケーウに対して、特殊な禅定の、各種の境界に、どのように対応するべきか、指導することができた。

メーチ・ケーウは、この方面において、受益多く、彼の指導に、非常に感謝した。

皐山にいた何年か、メーチ・ケーウは禅の修行において、大いに収穫があった。

毎回、新しい心霊の領域に入る度に、彼女は益々、肉眼で見えない世界を、理解した。

アチャン・カンパンの指導の下、メーチ・ケーウは能力を強化し、多くの、常人が知る由もない、低くて下賤で微細な非人間的世界に接触し、かつ、そこでの各種の現象を、理解した。

彼女は、色とりどりの多彩な境界を体験し、楽しくて仕方がないかの如くに、心霊世界を探索した。

彼女を驚かせたのは、非常に多くの亡霊の社会は、人の社会とよく似ており、指導者がいて、社会全体を管理し、集団の活動を監督し、同時にまた、方法を講じて、大衆間の調和を保持していて、漂泊している孤独な魂や、野卑なる魂とは、完全に異なっていた事である。

ある種の衆生は、かつて多くの功徳を蓄積したものの、しかし、過去世の悪報が現前して鬼道に堕ちたものであるが、しかしながら、彼らは、前世にあった善良なる性格を保持しており、故に大きな威力があり、徳でもって衆を服することができた。

その他の、徳を蓄積していない亡霊は、徳行があり、権威がある亡霊を敬い畏れ、その指導に従った。

鬼道の社会では、一人の亡霊は、ただ善なる力に頼るだけで、非常に大きな群衆を統括することができる。それはすなわち、善行の果報が、当然悪行の果報より力がある、という道理でもあった。

また、メーチ・ケーウは、亡霊の社会は、集団または階級によって分断されているのではなくて、厳格に、自ずから顕現する所のある種の果報によって、貴賤秩序が保たれていて、そのため、人類の社会程には、差別や蔑視はないことを知った。

彼らの生活の状況、また社会的な地位などは、みな、過去になした業に相応していた。

(4-33につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>