<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
その始まりから今日まで、道場の女性たちは、彼の膝下で、すでに8年近く参学していた。
彼の還俗は、寺院に波風を立たせただけでなく、住職の席につく者がいなくなり、尼僧たちは、どこかもっと理想的な場所へ、引っ越さねばならない、と考えた。
今、彼女は、指導の責任を負わねばならない立場になった。
メーチ・タンとメーチ・インは、尼僧を集めて会議を開き、皆が同じ思いである事を確認した:
尼僧たちの目下の急務は、彼女たちの村に帰り、適当な場所を見つけて、女性専用の道場を建てる事。
このような意向を抱いて、メーチ・ケーウは他の6人の尼僧たちと、一緒に卉晒村に帰ったが、それは 1945年の事であった。
村の、名望高い二人の年配者は、彼女たちの、突然陥った困難な境遇に理解を示し、非常に同情して、20エーカーの農地を提供してくれたが、それは村の南方の、おおよそ1マイルほどの所にあった。
この土地は、周囲の稲田より少し高く、長年綿花や大麻、藍などの経済作物を植えるのに、使っていた所であった。
農地の中に、大きく乱れた竹藪や、高く聳えた紫檀の樹林があって、外界からの干渉を受けない暗がりを持つ環境を作っていたが、それらは、修行者が安住するのに、都合がよかった。
尼僧たちは、彼らの布施を有難く受取り、女性専用の森林道場を作るために、即刻、工事を始めた。
卉晒村の人々の助けを借りて、彼女たちは、大木の下に生えた灌木や雑草を取り除いて、とりあえず使うための、茅葺小屋を建てた。
寝るためのプラットフォーム、平台は、竹で作った。彼女たちは、まず、竹を裂き、柱にしばりつけて、しっかりと固定し、周囲を竹垣で囲った。プラットフォーム全体は、地面から45cm程離し、長さ1.8m、幅1mほどであった。
屋根は、付近に繁殖している萱を一括りに纏めて、それを順序良く乗せた。
一人のメーチに、一軒の茅葺小屋。
小屋同士は、できるだけ距離を取った。
当地の村民はまた、簡素な茅葺小屋の横に、経行ーー歩く瞑想をするための小道を整えた。
彼らは、一隅の土地を片付けた後、鋸で切り、鉋をかけて、ツルツルにした柱と木の板を、木釘で打ちつけて、基本的な構造物とし、その上に萱をかけて、頑丈な一軒の、小さな仏殿を建てた。
その後に、その付近に竹と萱を使って、簡単な棚を作り、カマドを設えて台所とした。
井戸がなかった為、彼女たちは、毎日、近くの小川まで行って水を汲んだ。
(4-42につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>