<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
禅修行の時、彼女は身体を一片一片、一層一層と分解していった。
皮膚を観察してみると、彼女は、非常に薄い組織が、筋肉と内臓の上に覆いかぶさっており、一見したところ清潔そうに見えるものの、子細に検査する所のそれは鱗状で、皺のある皮の層で、多くの汗と油脂を分泌しており、常時清潔にしていなければ、己も、他人も耐えられない、という事を知った。
頭髪は、櫛で撫で付ければ、その全体は美しく見えるけれども、何本かの髪の毛が皿に落ちようものなら、汚くて、うんざりする。
頭髪と体毛は非常に不潔で、故に毎日、頭を洗い、身体を洗わねばならない。
実際、身体の部分で、どこかずっと清潔でいられる所はなく、身体全体は本質的には、耐えられない程、不潔なものであった。
体臭と汚れで、衣服と蒲団類は、常に洗ったり、交換しなければならない。
食べ物でさえも、歯で噛み砕いて唾液と混ざった後は、やはり不潔である。肉体全体の性質はみな同様で、人に嫌悪される。
メーチ・ケーウは、身体の外部の穢れを子細に観察した後、更に一歩進んで内部の器官と、それらの分泌物、悪臭のする排泄物を観察した。
彼女は頭髪、爪、歯と皮膚を真剣に検査した後、一種の幻滅の感覚が、油然として、湧き出してきた。
彼女は注意深く、外部にある皮膚の層を剥き、血と混じりあっている筋肉を、晒し出して観察した所、この白っぽい血肉の組織に対して、吐き気を催した。
彼女は己自身に、この風景は真実で誤りがなく、一生涯、彼女に付き従う肉体とは、確かにこのようである、と己に注意を促した。
彼女はまた、腱、骨とその他の内臓に深く分け入って見たが、一束一束の腱が、骨に纏わりついた様は、台所の生肉のようであった。
彼女は心臓、膵臓、腎臓、脾臓、肺、胃、小腸、大腸も見たが、これらの器官は、繊維質の膜で隔てられながら、胸腔と骨盤の間に、それぞれの場所に、ミチミチと詰め込まれた状態にあった。
メーチ・ケーウは順序良く、感官を一つずつ観想していき、器官が脂肪、血液と粘着性を持つ分泌物の中に包まれているのを観想したが、それは、排泄されるのを待つ、腐臭を放つ物であった。
メーチ・ケーウは、己の強大な心の力を利用して、身体内部の組織に深く分け入って、探索した。
彼女は初めて、透視的な内観をした時、色身の真正なる本質を見た。
透徹した智慧でもって、彼女は以下の事を観察した。すなわち、内観の対象を、身体の各部分に拡大してみた所、各々の部分の本質は、皆同じである事を知ったのである。
身体全体は穢れており、悪心されるもので、不断に変化しており、その中には、安らいで楽しい己など、ない事を知った。
(4-47につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>