Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-6

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1951年1月、アチャン・マハブーワは、一群の頭陀僧を連れて、磐山から遊行しながら下りて来て、卉晒村北部の山の麓にある、緑濃い森林の中に、足を止めた。

各自各々は、頭陀僧の伝統に従って、淡泊な修行生活を送るために、木の下、山の洞穴、頂、がけの下などに、遊行用の傘を掛けて、住まいとした。

アチャン・マハブーワと、彼の侍者として、一人の沙弥、サマーネンが、同じノックアン洞に住んだ。

ノックアン洞は、山頂の地勢が平になった所の片側にあり、村から一マイルほどの距離であった。

それは長方形の、幅がある広い洞で、突出した一つの崖の、傍にあった。

入口には、平らな石が敷き詰められていて、外に向かって伸びていた。

ここは、空気の流れが良く、涼しく、環境全体は、幽玄で静かであった。

アチャン・マハブーワの到来を知って、メーチ・ケーウは幾人かの尼僧と共に、くねくねと曲がった坂を登って、彼に会いに行った。

その高地の頂は、地面から露出した黒岩石でできており、波状の地勢は、洞の入口まで伸びていた。

到着して、メーチ・ケーウが、アチャン・マハブーワが洞の出入口にある、平坦な大きな石の上に座っているのを見るや否や、彼女の心は喜びに溢れ、振り返って嬉しそうに、低い声で言った:

”彼よ!私があなた方に教えた、あの大禅師よ!”

彼女たちは、心身を摂め、恭しくアチャン・マハブーワの元に歩み寄り、彼の前で跪いて、重々しく、三拝した。

お互いに挨拶した後、メーチ・ケーウは、随分前、彼女が子供だった頃に、アチャン・マンに会ったことがあり、アチャン・マンがどのように禅の修行を指導したか、また、彼がここを離れる時に、どのように、彼女の修行を禁止したのか、を述懐し、また、アチャン・マンに対する尊敬から、彼女は長年禅の修行をしておらず、出家して後、改めて真剣に努力しているのだ、と伝えた。

アチャン・マンの近しい弟子として、アチャン・マハブーワは困惑を感じた。

どうして、彼女の修行を、禁止する必要があったのだろうか?

メーチ・ケーウが色々な禅相について話すのを聞いた時、彼はすぐに、原因を察した。

この時、メーチ・ケーウは、各種の神秘的な境界に深々と沈潜して、早10年が経っていた。

彼女は、禅相が見えなければ、それは修行ではないと思っていて、彼女はこの境界の中に惑溺し、この方向こそが、涅槃であり、煩悩から解脱する正道だ、と信じていた。

(5-7につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>