Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

何週間かの後、アチャン・マハブーワは、彼女が指導を聞き入れない事に、気が付いた。

その為、アチャン・マハブーワは、禅修行の時に、いか程かの時間、心を完全に内に向けて、専注するようにと、きっぱりと、告げた。

彼女はこれまで通り、時々は、覚知を外部にある現象に向けてもよいが、しかし、その他の時間においては、覚知が内部に留まるのを、強制しなければならない、と言った。

彼は彼女に、己の心を制御する事を学ぶよう促したが、それは、意識流を随意に、内部また外部へと導く事ができるように、なるためであった。

禅相が、心の内部に存在する、意根に接触する事から、メーチ・ケーウは、これこそが、己の心の探究である、と思いなした。

彼女は、定の中で生起する現象を観察することは、これらの現象を認識する所の意識を、理解することができ、その行為により、実相を洞察することができる、と確信していた。

故に、彼女は己の見解に固執し、修行の方法を変更することを嫌がり、公然と、アチャン・マハブーワの教えに、真っ向から抵抗し始め、彼女の禅修行の方法は、すでに深い知見を齎しており、変更する理由がないと、態度で表した。

アチャン・マハブーワは、忍耐強く説明した。

彼女が見ているのは、宇宙に、自然に存在しているものであって、通常、肉眼でみているものと、大して変わりはない。

禅相の中に顕現する世界は、人間世界と同じように、真実で明らかであるけれども、しかし、認知の知覚から言えば、これらは、皆、外部に属しており、物質のようには、明らかな形態を持たないものの、それらを知りえる知覚とは、隔たりがある。

最も重要なのは、観察者の立場から言えば、物質的な対象と、心霊的な対象は、なんら差異はなく、すべては、外部世界のものである、という点であった。

彼は、メーチ・ケーウに、注意力を向ける方向を転換させて、外に向かって流れる意識を止めて、それを内に向けわせる事、心の本性ーー知覚の源流ーーに覚醒することを勧めた。

メーチ・ケーウは、反対し続けた:

天眼で見える特殊で微妙なもの、それは、肉眼でみるものとは異なる。

天眼は、各種の亡霊の魂や、神識を見ることができる。

天界のすべての天人と交流することができる。

過去世の因と縁を見ることができ、未来を正確に見ることもできる。

彼女は、これらの知見は、通常の感官の認知を超越している、と言い張った。

(5-9につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>