Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-31

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

影像の生起と消滅は非常に速く、故に、外部の、または内部の概念とは、相関する事がなかった。

最後には、形相(=姿かたち)は、意識の中において、閃きながら生・滅したが、その速さは、映像の意味を識別する事が、出来ない程であった。

一つずつが、滅し去るに従って、覚知は、更に深い<空(クウ)>ーー映像においての<空>、対象への執着への<空>を、体験した。

一つの極端に微細な、純粋的知覚の核心が、この時、心中に突出し、顕現した。

一つずつの新しい映像は、閃いては滅し去り、心は更に深い所で、それが齎す<空(クウ)>を、感受した。

これ以降、メーチ・ケーウの心は、微妙な空(クウ)と清らかさと明晰さの中にあり、色身は存在していても、彼女の覚知は、空(クウ)そのものであり、いかなる映像も、心の中に留める事はなかった。

この内観は、メーチ・ケーウをして、翻天覆地(=天地がひっくり返る)の、全体的脱皮を、促せしめた。

彼女は、疑いもなく、以下のような真相に関する、覚醒を得た:

意識流によって生起する映像に対する無知、その結果は、嫌悪または好ましさという、感受を引き起こす。

彼女は、好悪(+という心の働き)は、身体と色相に対して、本能から出てくる所の、微細で察知する事が困難な、歪曲された認知の上に、植え付けられたものである事を知った。

彼女が、認知の真正なる根拠を明らかにし、その正当性を徹底的に覆した時、表象される外部世界全体は崩れ去り、これら認知への執着もまた、滅し去った。

心内で創造された一切の影像が滅し去った後、心の相に対する執着もまた、同時に滅し去った。

心が、ひとたび、一切の感官の紛糾から退出した後、彼女の存在全体が、深くて微細で清浄な感覚に覆われた。

最後には、身体の影像、またそれがただの色相(=姿かたち)に過ぎなくても、メーチ・ケーウの意識の範疇に、存在する事はなかった。

心中に、執着するべき形相がないため、メーチ・ケーウは、己が永遠に、色界に生まれる事はないと、知った。

この時、心内において、常日頃感じていた生理的限界と幻想化した色身は、すべて消え去って見えなくなり、外に向かって伸展し、一切と融合し合ったが、それはちょうど宇宙と一体化したようなものであった。

依存していた一切のものから抜け出して、内において安らいだが、それは無上の<空(クウ)>--清らかで澄み渡り、光り輝く、不動なるものであった。

(5-32につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>