<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
”空、光明、清らかさと明晰さ、楽しさは、皆、光明心における、微細な有為法である。
もし、あなたが、子細に空を観察し、持続的に注意したならば、あなたは、それが、実は、真正には、始終一如ではない事に、気が付くはずである。
根本無明が造り出した空は、精妙なる有為法で、それは時折、ささやかに変化する事があるーー非常に微細にーーしかし、あなたに、それが無常であると、分からせるには、十分なくらいに。
あなたは、微細な変化を見て取ることが出来る。というのも、一切の有為の現象はーー見かけ上、如何に奥深く、光明で、壮観であろうともーー多少とも、ちぐはぐした形跡を顕現するものである。
”もし、これが真正なる涅槃であるならば、なぜ、それほど精緻な境界において、細かい変化を齎すことがあるのか?
それは恒常でもなく、真実でもない。
光明の核心に専注するならば、あなたは、その光明もまた、同じ性質を擁していることを、はっきりと知ることができるーーあなたが、以前超越した所の、すべての、その他の現象と同じように。
唯一異なるのは、相対的な比較の下では、この光明は、非常に深く細密である、ということである。
(5-38につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>