wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-39

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

その夜、女性専門道場に戻って来ると、メーチ・ケーウは、光明心がなぜ、彼女の唯一の、恋々とした執着になるのか、その事を考えた。

彼女は、この一粒の心を非常に愛惜し、それが干渉を受けないように、保護した。

心身全体において、いかなるものをもってしても、この光明ほど、突出して顕現するものはなく、それは、人をして、迷わせ、夢中にさせるほどの驚嘆を激発しーーそのことによって、一種の保護欲的な執着を生じせしめたーーどのようなものをもってしても、それをかき乱すことを、望まなかった。

メーチ・ケーウは、あの、一切を知っている核心に惑った為、その核心の本質を調査し、判断する事を忘れた。

心の範疇が内部に向かって退縮する時、それは発光する、喜悦と勇敢なる所の、光明点に集まった。

心行のひとつづつは、みな、この核心から生起した;

意識は、ここから、流露した;

念頭(=想い)は、ここで形成された;

一切の楽しさは、ここに集まった;

故に、彼女は、この存在の中心、この恒常なる光明の透明性が、涅槃だ、と信じた。

しかし、彼女は、それが苦の集の核心なのだという事を、今、知った。

メーチ・ケーウは、このことに関しては、動揺しなかったし、恐れもしないで、謹厳に、内心における、非凡な光明を、子細に審査し、何ほどか、不円満な跡形がないかどうか、観察した。

最初、光明心には、瑕疵がないし、干渉も受けないし、純潔で、汚染もないように、メーチ・ケーウには、思えた。

しかし、彼女が更に深く細かく観察してみると、一つの、同じように微細な、暗さの濃淡が、時たま浮かび上がり、あの光明・・・水晶のような清らかさをもった能知の核心を、暗く変化させるのに気が付いた。

この波動は、同じレベルの微細な苦と変化を、こっそりと潜入させた。

この微細な波動は、明らかな不一致性を顕現し、それは、彼女に疑いを齎すには、十分であったが、その事によって、彼女は、引き続き、観察を続けるようにと、己を鼓舞した。

その結果、彼女は、波動を観察する事に沈潜し、一刻も気を許すことなく、毎日継続して観察した。その為、時間の感覚も無くなり、日にちも忘れ、睡眠も忘れ、辛苦も疲労さえも、忘れた。

最も微細な波動が生じるや否や、彼女はそれに注意を向け、それは、光明なる覚知における、すべての邪執を、徹底的に打ち壊すまで、続いた。

1952年11月1日、明け方、メーチ・ケーウは、円満なる念住を保持して、裸足で、経行道において、歩く瞑想を、何時間も実践していた。

この時、彼女は身体の疲労を覚え、少しばかり休憩してから、台所へ行って、僧侶に供養する為の、朝食の準備をしようと思った。

最初の曙光が、トウトチノキの頂を照らし、黄色い花が、柔らかい金色の太陽光の中に照らされた時、まさに今到達せんとする、覚醒を迎えた。

メーチ・ケーウは、ゆっくりと歩いて、木の下の縁台に行き、長い時間、静かに座って、心をして、深くて微細で、不動なる、焦点のない、平静さの中に、あらしめた。

次に、非常に長い静けさが維持された時、心は前進する事もなく、後退する事もなく、停止する事もなかった。

その後、空中に凝聚した所の、覚知の状態にありながら、しかし、特定の何かを知るということもない、彼女が長い間、愛惜してきた所の、水晶のように透明な光明心は、突然、身を翻し、その後、消え去ってしまったーー一つの、純潔で、心内に充満し、宇宙全体に浸透している、遍知の存在が、出現した。

能知は、至る所に存在するが、しかし、法を一つも知らない。

能知は、広大な宇宙の自然なる運用にしかすぎず、何か特定の場所から発散されるものではなく、特相(=特徴、特別な相)がなく、根源を持たなかった。

光明による覚知は、あの瞬間において、消え去り、残されたのは、清浄と清浄なる法の根本的解脱ーー一つの、一切の形式、概念を、徹底的に超越した所の、絶対無為の能知であった。

(5-40につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>