<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第四章
清浄ーー円満果証
有人説要証涅槃、
(涅槃を証したいと思い)
于是伸長頸項望向天上広闊的虚空。
(首を伸ばして、空の上の、広い虚空を望む)
他們没有意識到不管多麽用功望多麽遠、
(彼らは、どのように努力しても、どのように遠くを望んでも)
也望不到涅槃。
(涅槃は見えないことを知らない)
因為涅槃并不在有為的世間里。
(涅槃は、有為の世間の中には存在しないが故に)
河の流れと大海
川の流れは、地勢に従って、大海に向かって流れる。
一条の河は、それぞれ名前を持ち、流れの状況もそれぞれに、異なる。
しかしひとたび、大海に流れ込んだならば、河の水は、海水と混じりあって、唯一、一つの味になり、河の流れは、己の特徴を失う。
河の水は、依然として存在するが、しかし、今は、海水と同じ特徴を、持つに至った。
河の流れは、大海と同じではないが、しかし、大海と、異なるのでもない。
同様に、メーチ・ケーウの清浄なる存在は、すでに、果てしのない涅槃の大海に、溶け込んだ。
しかし、彼女の本性は、今も、変化する事はない。
とは言え、涅槃の清浄なる法の本性から、それを区別することはできない。
それはちょうど、海に流れ込んだ河の水が、元の河に向かって、戻って行けないのと同じように、涅槃に溶け込んだ心性は、もはや、過去において生じた所の、自我の幻像的意識と、結合することはない。
過去も、未来もないままに生きて、時間を超越した<今・ここ>において、本性は、過去の業の果を受ける事なく、また、新しい業の種を蒔く事もなく、二度と再び、毛筋一本ほどの、存在の痕跡さえも残すことはない。
(6-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>