wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-1

 <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

第四章

清浄ーー円満果証

有人説要証涅槃、

(涅槃を証したいと思い)

于是伸長頸項望向天上広闊的虚空。

(首を伸ばして、空の上の、広い虚空を望む)

他們没有意識到不管多麽用功望多麽遠、

(彼らは、どのように努力しても、どのように遠くを望んでも)

也望不到涅槃。

(涅槃は見えないことを知らない)

因為涅槃并不在有為的世間里。

(涅槃は、有為の世間の中には存在しないが故に)

河の流れと大海

川の流れは、地勢に従って、大海に向かって流れる。

一条の河は、それぞれ名前を持ち、流れの状況もそれぞれに、異なる。

しかしひとたび、大海に流れ込んだならば、河の水は、海水と混じりあって、唯一、一つの味になり、河の流れは、己の特徴を失う。

河の水は、依然として存在するが、しかし、今は、海水と同じ特徴を、持つに至った。

河の流れは、大海と同じではないが、しかし、大海と、異なるのでもない。

同様に、メーチ・ケーウの清浄なる存在は、すでに、果てしのない涅槃の大海に、溶け込んだ。

しかし、彼女の本性は、今も、変化する事はない。

とは言え、涅槃の清浄なる法の本性から、それを区別することはできない。

それはちょうど、海に流れ込んだ河の水が、元の河に向かって、戻って行けないのと同じように、涅槃に溶け込んだ心性は、もはや、過去において生じた所の、自我の幻像的意識と、結合することはない。

過去も、未来もないままに生きて、時間を超越した<今・ここ>において、本性は、過去の業の果を受ける事なく、また、新しい業の種を蒔く事もなく、二度と再び、毛筋一本ほどの、存在の痕跡さえも残すことはない。

(6-2につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>