wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-2

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

続けて何日間も、メーチ・ケーウは、証悟した所の本性に、沈潜していた。

彼女が、以前非常に愛惜していた光明心は、相対的に、今となっては、粗野で狭量なもので、両者の違いは、黄金と牛糞のように、思えた。

最後には、元々の意識流を通して、心の本性は、改めて、彼女の色身及び六根ーー彼女の、あの、いまだ生死輪廻の生活の中にあって、世間的自我を構成する所の和合体-ーと結合した。

彼女の意識心と色身は、過去の無量劫における、宿業の残余であり、寿命が尽きて、色身が壊滅するまで、引き続き、過去の業報を引き継ぎ、受け取らねば、ならなかった。

メーチ・ケーウはすでに、涅槃の大海において、徹底的に心身の執着を消し去ったとはいっても、しかし、それらは、依然として、各々の範囲内において、己自身の機能に従って、運行された。

とはいえ、心の核心は、すでに清浄となったので、彼女の一つひとつの念頭(=想い)は、無明から解脱しており、一つひとつの心行は、覚醒の顕現であった。

この時、メーチ・ケーウの心は、すでに、世俗の渇愛に粘着される事はなく、彼女は、この世間に生きながら、しかし、この世間に属さなかった。

彼女の心身は、宿業の残余である為、彼女は、過去世の経歴を明確に確認して、どのようなものが見えて来るか、試してみようと思った。

彼女は、天眼でもって、無始以来の、己の宿世の生命を観察した所、大変な驚きの心で、自分自身が何度も生まれ出て、また何度も死んで、無量無辺の生命の流れの中で、一体全体、何度生きたのかもわからないほどの、様相を見た。

もし、彼女が以前に、彼女の生命が残した所の死骸を、野原に積んだならば、どんな小さな土地にも、それがぎっしりと積み上げられ、満杯にならない所は、なかった。

これほど長期間に生きて、どれほど多くの生命を辿ったことか!

彼女はまったくもって、すべての生死を、計算する事は、できなかった。

それは、計算などという事を、遥かに超えていた。

ここまで回想すると、彼女の気持ちは、全くもって、萎えてしまった。

これほど長期に、苦海に生まれていながら、なぜ、己は、必死になって、また再び、生まれ出ようとするのか?

次に、彼女は心念を、世間の一人一人が、過去において死んで残した所の、無量の死骸に向けると、それは四方八方、どこも同じで、一切の衆生は、男女の別なく、皆このような生死の歴史を擁して、同じく、耐え難い輪廻の中に、堕ちていた。

この見地から言えば、衆生一人一人は、皆平等で、不公平でも不平等でもなかったーー皆、ただ、業力の因と縁によって、次から次へと、転々としながら、不断に生成し、また壊滅していた。

後ろへ後ろへと見ていくと、彼女には、一人一人の衆生の過去には、皆、数えきれない程の死骸が、積み重なっているのが見えた。

それは、一幅の、忘れる事の出来ない光景であった。

(6-3につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>