<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
彼女は、彼女たちに、以下のように訓戒した。
話しをする時は、根拠のある事柄を話し、適切でない事柄は話さない。
一切の苦難を耐え忍び、禅修行に励み、己の、本来の面目を探し求める事に奮闘し、修行者の模範とならなければならない。
間違った因縁、失った因縁に懊悩してはならず、未来の果報を期待してもならない。
これらの想いは、己を欺瞞しているに過ぎないが故に。
彼女は、彼女たちに警告もした。
怠惰な習慣と闘争する事に奮闘し、安易に、枕に負け去ってはいけない。
一人ひとり、己の心念を、子細に観察しなければならない。実相は、心の中にあり、あなた方はそれを探し出す為に、尽力しなければならない。
彼女は、これらの弟子に、仏世尊の教えを、誠心誠意、信受するように要求すると同時に、彼女たちに、己の歩むべき道を追求しているその時、その一歩一歩は、小心翼々でなければならない、と勧め励ました。
道は各々の心の中にあるが故に、一人ひとりは、皆、己の心の中に、離苦の道を、探さねばならない。
修行は怠けてはならず、精進しなければならない。
道心は堅固で、揺れてはならず、道果を証悟するまで、諦めてはならない、と檄を飛ばした。
毎回、誰かが怠けているのに気が付くと、彼女は彼女たちに、己の修行を点検するように、要求した。
”あなた方の中の多くの人は、すでに、私と非常に長い時間、共に過ごしています。
しかし、何を成就しましたか?
あなた方の、目の前の事柄に対する執着は、成就されたものより、比べる事が出来ない程、多い。私の言う事を信じないのであれば、己に問うてごらんなさい:
自分は、どれほどの執着を、取り払ったか?
天人であっても、生まれてはまた死に、死んではまた生まれますが、それは、あなた方も同じです。天人は、己の変動不居の生命に、執着しているのです。
まさに、この生への追求が、生きていたいという願望への追求が、一切の衆生をして、長い夜における、苦海輪廻に引きずり込ませるものでなのです。
”我々の修道は、決して、毛一筋程の気の緩みを許しません。あなた方は、今、道徳を育成し、真正なる楽しみを追求しています。
我々の内の大部分の人は、老幼に関わらず、共に住まいして、共に修行します。
各人は、出家の、簡素で素朴な生活の辛苦を、耐え偲ばなければなりません。
だらだらと怠けてはならないし、人を恨んでもなりません。
いつどんな時も、慈悲の心で対応するべきです。
己の修行仲間には、優しく謙虚であるべきで、先輩・指導者の教えには、感謝の念をもって、受け入れなければなりません。
私が、あなた方の言論や、行いを批判するのは、あなた方の成長の為であり、あなた方の事を思ってしているのです。
”あなた方は、指導者と、すべての修行仲間を敬わなければなりません。
新参のメーチは、古参のメーチに礼拝し、それは、たとえ、あなたより、一日早く出家したメーチに対しても、そうするべきです。
一人ひとりがサンガにおいて、先輩を敬い、後輩は謙虚で、という約束事に喜んで従う事ができさえすれば、皆は、縁に従って、共に暮らすことができます。
このようであれば、慈と悲と喜が、心内に育成されて、彼此お互いに影響され、そして、それが、すべての衆生へと伝わって行きます。”
アチャン・マハブーワは、よく道場を訪ねて来た。
彼は、多くの場面で、メーチ・ケーウを讃嘆し、彼女の事を、尼僧衆と在家者の、全き模範である、と言った。
実際、すべての仏教徒は、メーチ・ケーウの修行に、追随するべきである。
アチャン・マハブーワは、メーチ・ケーウの弟子たちに、己の指導者の徳行、彼女のあの無畏なる勇気と祈願の力、また、彼女の無上の智慧と悲心、それらが、彼女をして、精進努力に向かわせ、修行に打ち込ませ、最後には、死界の無い、絶対に二度と再び、墜落することのない功徳をば、証得することに成功した事に、しっかりと思いを致さなければならない、と激励した。
メーチ・ケーウは、正等正覚仏世尊の教えを守り、苦と楽を乗り越えて、世間からの出離を、究竟成就したのである。
(6-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
”