Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」(翻訳文)1-4

   <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1-1-1 仏法とは何か?

1-1-1-1 略説

真正なる仏法は、寺院でもないし、仏像でもないし、僧に供養する食べ物でもないし、儀式でも、ない。

これらの物事は、非常に価値があるけれども、しかし、真正なる仏法ではない。

それでは、仏法とは何か?

もし、仏法を、正念と正知でもって修行して、般若の智慧を誘発し、煩悩を断じ除いて、苦痛を止息する事だと言えばーーこの概念は、答えに近いが、まだ明確さに欠ける。

もし、仏法を、色心の二法であると言うならばーーこれは更に答えに近くなるが、しかし、まだ人を満足させえない。

というのも、「心」という、この文字が伝達する意味は:

一つずつ、隙間なく接していながら、全体では、一体になっている所の、色々に異なる精神作用の一切を処理するもので、心は非常に多くの心態(心王)を表現することができる(+機能である)、というものである。

一つひとつの心王は、個別に生起して、かつ、お互いに異なる:

たとえば、見る心態と聞く心態は異なっており、妄想の心態と、修行時に、身体を観じている心態は異なる、などなどである。

「我々」という、この全体に存在する感覚は、ただ、一刹那毎に、その内の一つの心態を生起せしめ、そして、次の一刹那には、非常に迅速に、もう一つ別の心態にとって代わられるだけ、なのである。

(1-5につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>