<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-1-1 仏法とは何か?
1-1-1-1 略説
真正なる仏法は、寺院でもないし、仏像でもないし、僧に供養する食べ物でもないし、儀式でも、ない。
これらの物事は、非常に価値があるけれども、しかし、真正なる仏法ではない。
それでは、仏法とは何か?
もし、仏法を、正念と正知でもって修行して、般若の智慧を誘発し、煩悩を断じ除いて、苦痛を止息する事だと言えばーーこの概念は、答えに近いが、まだ明確さに欠ける。
もし、仏法を、色心の二法であると言うならばーーこれは更に答えに近くなるが、しかし、まだ人を満足させえない。
というのも、「心」という、この文字が伝達する意味は:
一つずつ、隙間なく接していながら、全体では、一体になっている所の、色々に異なる精神作用の一切を処理するもので、心は非常に多くの心態(心王)を表現することができる(+機能である)、というものである。
一つひとつの心王は、個別に生起して、かつ、お互いに異なる:
たとえば、見る心態と聞く心態は異なっており、妄想の心態と、修行時に、身体を観じている心態は異なる、などなどである。
「我々」という、この全体に存在する感覚は、ただ、一刹那毎に、その内の一つの心態を生起せしめ、そして、次の一刹那には、非常に迅速に、もう一つ別の心態にとって代わられるだけ、なのである。
(1-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>